覚え書:「今週の本棚:藤森照信・評 『歴史をどう見るか』=粕谷一希・著」、『毎日新聞』2012年11月11日(日)付。




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今週の本棚:藤森照信・評 『歴史をどう見るか』=粕谷一希・著
 (藤原書店・2100円)

 ◇さめた眼と言葉の力で過去を捉える

 近代前を宗教の時代とするなら、近代以後はイデオロギーの時代と言っていい。人の心を左右のイデオロギーが動かし、その結果、個人も社会も政治もそして国の歴史も左右に激しく振れながら進んだ。

 そうした中で、イデオロギーから距離を置き、この世の動きを見ることは可能なのか。もし可能なら、どのように映るのか。この本は、われわれの近過去の歩みをそうしたさめた眼(め)で眺め、その光景を描いたスケッチブックのような一冊。

 著者の眼はさめて(、、、)いるが、イデオロギー好きの者には冷めて(、、、)感じられようし、イデオロギーから離れた者には覚めて(、、、)、または醒めて(、、、)いるように思える。

 さめた眼は科学者の観察と同じだが、しかし自分たちの歩んできた道を、科学のように数式や図形で表すことは出来ない。言葉によるのが一番いい。言葉は、抽象能力と同時に、言外の余情のような温かいふくらみを持つことも可能だからだ。

 著者は、さめた眼で事態を観察する一方、その表現に当たっては、言葉の深く広く温かい力に頼る。

 「学者の場合は実証史学といって、様々な資料を精緻に吟味しなければなりません。そういう手続きがあるために研究の過程で色々な資料を批判的にみていくうちに、だんだん文章が抑制されてくるのです。ところが、読んでみると学者が書いたものは作家が書いたものほど面白くないということが起こります」

 学者のように調べ、作家のように書く。なぜなら、「歴史(ヒストリー)は物語(ストーリー)である」から。

 一冊の内容は、明治維新から第二次大戦と戦後の東京裁判まで。やはり面白いのは戦乱の時代の人の動きとその評価で、たとえば、第二次大戦における軍の横暴と敗戦時の無責任さについて具体的な事例を紹介するが、その一方で柴五郎大将の最期を記す。私なんか学生時代に出た『ある明治人の記録−−会津人柴五郎の遺書』(一九七一)を読んで、幕末・明治の動乱の中をこんなに立派に身を処した明治の人がいたんだと深く感銘を受けたが、その柴が第二次大戦を見届けたとは知らなかった。会津藩の敗戦と日本の敗戦の二つを体験し、二つ目の敗戦に対しどうわが身を処したか。

 「八十五歳と高齢でした。大将を最後に予備役になっていて、自分は何も悪いことをしたわけではないのに、戦争に負けたのは軍人が悪かったせいだ、と言って切腹してしまいます」

 歴史スケッチの所々には本質論が挟まれている。たとえば、

 「明治維新の戦死者は一〇万人。アメリカの南北戦争で死んだ数が七〇万人。ロシア革命とか中国革命では何百万人を数える。比べて明治維新は犠牲者の数が少ない。どうしてそうなのかといいますと、日本人というのはある段階にくると非常にあっさりしているということです」

 「純粋な人が革命家になると危ないということは世界中、いや人類に共通している歴史的事実だと思います」

 「西郷さんは人気がある。西郷さんの人気の原因は何かという問題は日本の歴史を考えるうえで難問であります」

 「国際政治において、外交は最終的には軍事力が決定する。それから経済力。ただ、三番目に国際政治を動かす要因として世論、国際世論があります」

 国際世論も、国際政治を動かす時は決まってイデオロギーを濃く含むことで現実を動かしてきた。言葉は、イデオロギーから離れながら現実と関われるのか。難問である。
    −−「今週の本棚:藤森照信・評 『歴史をどう見るか』=粕谷一希・著」、『毎日新聞』2012年11月11日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20121111ddm015070004000c.html


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