覚え書:「今週の本棚:山崎正和・評 『中国は東アジアをどう変えるか』=白石隆、ハウ・カロライン著」、『毎日新聞』2012年11月11日(日)付。




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今週の本棚:山崎正和・評 『中国は東アジアをどう変えるか』=白石隆、ハウ・カロライン著
 (中公新書・882円)

 ◇言語的変化が「新民族」を生み出す

 現代の中国は世界最多の人口と最強の経済成長力を擁し、一党独裁のもとで軍事的な拡張をめざす帝国である。ローマ帝国を超えるこの超大国の将来は、国際政治のみならず、文明史にとっても最大の関心事だろう。

 本書は東アジアを研究する専門家が、多年の成果を新しい視点からまとめ直し、この重大な問題に画期的な回答を示唆した希(まれ)に見る業績である。中国をまずその周辺諸国から観察しようという手法は、多くの日本の読者に目から鱗(うろこ)の落ちる思いをさせてくれる。

 著者は歴史や地政学的地位の異なる諸国をとりあげ、それぞれが中国の重圧にどう対処してきたかを精査する。すると意外にも、これら弱小に見える周辺国が強靱(きょうじん)な交渉力を駆使し、国の独立を維持してきたし、将来も維持し続けるだろうということがわかる。

 たとえばタイは大陸部東南アジアのハブの地位を占め、流通の出入口としての地位を固めつつある。安全保障では米国と同盟を結び、経済的にも世界市場に参入して中国への過度の依存を防いでいる。インドネシアは宿痾(しゅくあ)の内戦を終わらせて全国土の安定を確保し、経済発展の助力は借りながらも、中国との関係には伝統的な警戒心を失っていない。

 ヴェトナムは中国との数次の戦争の経験を持ち、昨今の貿易量の増大にもかかわらず、中国への危機意識を忘れていない。カムラン湾という要衝を開いて、仇敵(きゅうてき)米国を含む諸外国を迎えたのもその証拠だろう。ミャンマーのような最新途上国も例外ではなく、中国の多大な支援を利用しながら迎合はしていない。中国への巨大な石油・ガスパイプラインの計画と符牒(ふちょう)を合わせるように、この国が民主化と自由化を表明したのも象徴的かもしれない。

 東アジアの地域システムは柔軟かつ多角的であり、これが逆に中国を取り込み、構造的な緊張を解こうとしていると著者は見るのである。

 ここで著者は中国の歴史に目を転じ、かつての朝貢貿易が再現しえないことを説いたうえで、翻って文明統一における言語の重要性を指摘する。そしてこれこそ独創的な見解だが、現在、東アジアでは中国語を話す民族に言語的な変化が生じていると力説する。

 それが著者のいう「アングロ・チャイニーズ」の誕生であって、従来は華僑、華人、中国系などと呼ばれてきた人びとである。彼らはさまざまな世代に分かれ、移住先の文化へのなじみ方も多様だが、ほとんどが中国語と英語と居住国の言語の三つを話す。彼らの多くは東南アジアの政界、経済界で絶大な力を揮(ふ)るい、互いの情報網も緊密である。

 彼らは英語を話すことで、もはや価値観や生活感覚のうえでも純粋な中国人ではなく、新しい独自の文化的民族性を生みつつある。しかもこの新興の民族は今や東南アジアだけでなく、中国本土の沿海都市部にも続々と誕生しているという。この指摘は斬新だが、近年、共産党の最高幹部の子女が多く米国に留学しているという報道を思えば、十分に説得的だといえる。

 中国の政治的な将来は、このアングロ・チャイニーズと頑迷な党指導部との相克の時代にはいるのかもしれない。スリリングな予感だが、たとえそうならなくとも、この新しい民族の興隆はそれ自体、文明史的に見て私には胸躍る事件である。かねて民族は天与・生得の存在ではなく、形成され変容される人為の産物だと考えてきた私にとって、この本はこの上ない例証を与えてくれた。
    −−「今週の本棚:山崎正和・評 『中国は東アジアをどう変えるか』=白石隆、ハウ・カロライン著」、『毎日新聞』2012年11月11日(日)付。

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