覚え書:「今週の本棚:江國香織・評 『自殺の国』=柳美里・著」、『毎日新聞』2012年11月25日(日)付。




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今週の本棚:江國香織・評 『自殺の国』=柳美里・著
 (河出書房新社・1470円)

 ◇途方に暮れた“普通の少女”の可憐な青春

 随分恐(こわ)い表紙(とタイトル)なので、恐がりの私としては、最初、読むのがためらわれた。けれど読んでみてわかった。これはとても可憐(かれん)な本だ。顔の見えない他人と(ときに陰湿な)やりとりをする「ネット」、そこで「自殺」を計画したり、一緒に死ぬ仲間を募ったり、実行したりする人々、という道具立てはたしかに不穏で毒々しいが、背景に惑わされずにまっすぐ読めば、そこにはごくありふれた、一人の、少女がいる。

 ごくありふれた少女、というのは繊細な少女のことだ。繊細で、当然ながら独特で、知識も経験もすくなく、だから自信は持てず、不安で、でも自意識は余るほどあり、周囲を観察し、観察すれば失望したり批判的になったりせざるを得ず、けれど周囲を気遣う術(すべ)も心得ていないわけではないので、陽気にふるまったり、迎合するふりをしたりも、する少女。

 本書の主人公、市原百音(もね)は、そういう普通の少女である。小説を読む限り、家族とも仲がよく、友達もいる。私はそこをおもしろいと思った。すくなくとも他者から見る限り、彼女には「自殺」する理由がないのだ。そして、本人もそのことを知っている。

 ここには、勿論(もちろん)テーゼが含まれている。自殺する理由がない、ということが、自殺しない理由、すなわち生きる理由になるのかどうか−−。さらに、仲のいい家族というものの、仲はほんとうにいいのか、友達だと言い合っている人間を、信じる根拠はどこにあるのか。そんなことを考え始めれば、少女でなくとも途方に暮れる。何かを考えるのは危険なことだ。でも、考えない危険より、はるかに安全な危険だ。

 市原百音は途方に暮れている。「自殺」という考えを玩(もてあそ)んでいるし、そこに逃げ込みもする。悪いことだろうか。少女というのはそもそも概念を玩ぶのが好きな生き物だし、安全だと感じられる場所に、逃げ込むのも大好きな生き物なのだ。

 そういう生き物の生態が、ここには書きつけられている。女子高校生の生活様式、行動範囲、交友範囲、そのディテイル。たとえば、「一人暮らししたら、部屋をデコったりしない。なぁんもない空っぽの部屋で暮らす。テレビとか電子レンジとか食器とかも要(い)らない。ベッドと枕とお布団だけあればいいや」という一節や、「タバコ吸いたい。でも、クマたんたちがタバコ臭くなるのは、イヤだ」という一節から透けて見えるもの。カラオケ屋で友人たちと「写メ」を撮る場面の痛々しさ。十代の女の子たちの、多分に強迫的な友情の、残酷さや虚(むな)しさや。変らないんだなあと私は思った。そして、大変だなあと同情した。

 それにしても柳美里の文章は、やすやすと巧みだ。この本には一人称と三人称が混在するのだが、どこで切り替わったのかわからないくらいいつのまにか(、、、、、、)切り替わっている。一人称と三人称がこれほど自然に、まったく違和感なく混在する本を、私は他に知らない。

 読者はその巧みさにあやつられ、気がつくと市原百音と一緒に電車に乗っている(この本には、電車のなかの場面が多い。読む乗車体験(、、、、、、)といっていいほどの、その臨場感には驚く)。百音という少女は電車のなかでも死を想(おも)い、どんどん死に近づいていくのだが、同時に、たとえば自分の奥歯の「銀の被(かぶ)せ物」を「舌の先で舐(な)め」、「就職して自分でお金稼げるようになったら、最初のお給料で、この奥歯を白くしてやる」と考えたりもする。

 これは可憐な青春小説だと私は思う。不穏で毒々しい社会にあって、彼女はしっかりまっとうなのだ。
    −−「今週の本棚:江國香織・評 『自殺の国』=柳美里・著」、『毎日新聞』2012年11月25日(日)付。

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