覚え書:「田中角栄―戦後日本の悲しき自画像 [著]早野透 [評者]後藤正治」、『毎日新聞』2013年01月06日(日)付。




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田中角栄―戦後日本の悲しき自画像 [著]早野透
[評者]後藤正治(ノンフィクション作家)  [掲載]2013年01月06日

■「戦後」を映し出した政治家
 田中角栄が世を去って20年がたつ。総理番、派閥番、地元の新潟支局勤務などを通してこの政治家に至近距離で接してきた元政治記者による評伝である。描いてきた角栄像に、よりくっきりと輪郭を与えてもらった感がある。
 なによりも戦後という時代の政治家だった。戦争だけは嫌、生活を豊かに−−戦後社会が目指した国民的黙契であるが、イコールそれは「ひたすら具体」「実利実用」「現世利益」という角栄の思考と志向にぴったり重なっていた。卓越した馬力で政界の頂点へと上り詰めていく。
 ロッキード裁判の被告席にあった時期、著者は志願して新潟勤務につく。角栄王国の構造を知りたく思ってである。旧社会党の支持層までが越山会の熱心な会員となっていた。道路、橋、トンネル……利があった故であるが、それだけではない。「地方」「裏」「雪」……踏みつけられてきた側の情念と「化学反応」を起こしたが故に王国は形成されたのだった。
 実利は「自身の実利」にも結びついていた。地元の柏崎・刈羽。地域に交付金を落とす電源3法によって当地は原発集積地になったが、用地売買にかかわって5億円が刈羽村長より角栄邸に運び込まれたという証言も記されている。明の角栄も闇の角栄も、ともにこの政治家のもつ顔だった。
 人・田中角栄は魅力的な人だったと思う。「百日の説法屁(へ)ひとつ」「男にとって女は砥石(といし)(苦労して磨かれる)」「おれは木魚だな(叩〈たた〉かれ役)」など、遺(のこ)された語録にもその一端がうかがえる。
 副題は「戦後日本の悲しき自画像」。角栄の姿は、戦後の日本社会をそのまま映し出していたという意であろう。その通りだと思う。いま角栄の娘や弟子たちもパワーを失いつつある。比較して器量の差は歴然としていた。「黙契」も「人」も定かに見えぬポスト戦後の日々である。
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 中公新書・987円/はやの・とおる 45年生まれ。元朝日新聞記者。桜美林大学教授(政治ジャーナリズム)。
    −−「田中角栄―戦後日本の悲しき自画像 [著]早野透 [評者]後藤正治」、『毎日新聞』2013年01月06日(日)付。

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