覚え書:「今週の本棚:湯川豊・評 『祖母の手帖』=ミレーナ・アグス著」、『毎日新聞』2013年01月13日(日)付。
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今週の本棚:湯川豊・評 『祖母の手帖』=ミレーナ・アグス著
(新潮社・1680円)
◇生涯一度の恋に秘められた物語
不思議な語り口で語られる、小さな中篇小説である。たどたどしい語り方にじれったくなったりするが、しだいに意外に深い奥行をもつ物語であることに気づくことになる。遠い、イタリアのサルデーニャ島に生きたひとりの女性の話である。
語り方のいちばん大きな特徴は、祖母、そして祖父、父、母というふうに、家族関係の名詞で押し通されることで、語り手の孫娘「わたし」も含めて名前がつけられていないことだ。家族関係という濃密な場所から、濃密な女性が語り出される。
そして、この「祖母」がまことに魅力的な存在なのだ。若い頃、井戸に身を投げたこともあるし、自傷癖もある。頭がおかしいのではないかと周囲から見られるが、「大きくて引き締まったおっぱいと豊かな黒い髪と大きな目」をもつ美女。村に疎開してきた、サルデーニャ島最大の町・カリアリの製塩所の社員だった祖父に求婚される。祖父を愛せないからイヤだ、と抵抗するが、曽祖父母の厳命によって結婚させられる。それが一九四三年、大戦末期のこと。
この祖父というのがまた十分に変わっている。むりやり結婚したのだからといって、祖母のなすがまま。すなわち、祖母は背の高いベッドのなかで、できるだけ祖父から離れ、端っこのほうでちぢこまって寝る。祖父も同じように端に体を置き、祖母に触れない。四十すぎの男の欲求を処理するために売春宿にかよいつめ、祖母はそれをみとめている、というぐあい。
あるとき、祖母は変心し、売春宿ゲームを自室でやることにし、祖父はそれを受け容(い)れる。激しい売春宿ゲームのようすがシンボリックに描写される。しかしゲームが終われば、二人ともまたそれぞれが端に行き「おやすみなさい」。ただし、ゲームの結果だろう、祖母は何度か妊娠するのだが、持病の腎臓結石による激痛がそのたびにきて、流産をくりかえす。
最初に指摘したように、語り口は鮮明ではない。既に何冊かの長篇小説をもつアグスという女性の新鋭作家は、意識的な技巧としてたどたどしい語り方をしているのかと戸惑いつつ読み進むうちに、この祖母と祖父の奇怪な関係は、だんだん神話的な色彩を帯びてくる。巨(おお)きな人間の原型がゆったり動いているような。
一九五〇年、医者のすすめによって、祖母は腎臓結石を治すために初めて本土の温泉に行き、療養生活に入る。そこで祖母は生涯一度の恋に落ちる。
相手は第二次大戦に海軍将校として参加した「帰還兵」。戦争によって片脚を失ない、義足をつけている。この美しい男に祖母は一目惚(ひとめぼ)れし、「いちばん大切なもの」すなわち愛を抱き、かたときも離れない至福の日々を過した。そして、赤い縁取りのある黒い手帖(てちょう)に、その愛の記録を刻明に書きつけた。
祖母はそれから九か月後に、男の子を出産した。それがわたしのパパだが、当然のことながら祖母に生涯一度の恋を聞かされつづけたわたしは、パパは「帰還兵」とのあいだにできた子ではないかと疑っている。祖母の手帖は失なわれていて真実は長く不明のまま。
しかし、物語の最後になって、わたしの抱いたナゾは、どんでん返しふうに解き明かされる。それだけなら、よくある構図だ。この小説のすごみは、解かれたナゾの上に、祖母の存在という、より大きなナゾがかぶさってくることだ。それによって、人間という途方もなく暖かいものに触れたような感動がやってくる。イタリアに新しい文学の芽が生まれているのを知り、うれしくなった。(中嶋浩郎訳)
−−「今週の本棚:湯川豊・評 『祖母の手帖』=ミレーナ・アグス著」、『毎日新聞』2013年01月13日(日)付。
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http://mainichi.jp/feature/news/20130113ddm015070032000c.html