覚え書:「今週の本棚:海部宣男・評 『10万年の未来地球史』=カート・ステージャ著」、『毎日新聞』2013年01月20日(日)付。




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今週の本棚:海部宣男・評 『10万年の未来地球史』=カート・ステージャ著
 (日経BP社・2310円)

 ◇「始めてしまった」温暖化の行方を見極める

 本書の表題に、「そーんな先の話?」という方もあろう。だがこれは温暖化問題に関心を寄せる読者には、新鮮な現在的(・・・)視点を提供する本である(原題はDeep Future)。

 IPCCによる人為的気候温暖化の警鐘にはさまざまな立場から批判があったが、IPCCもデータの扱いなどを改善し、気候モデルの改良もかなり進んだ。日本では深刻な福島原発事故で議論がやや下火だし、「原子力と環境と、どちらをとれば?」と悩む方もあろう。それでも、人為的温暖化が現代の大きな課題であることに変わりはない。

 気候変動の研究者で、『ナショナル・ジオグラフィック』などに寄稿する科学ライターでもある著者は、未来に対して現実的、かつ科学者らしくポジティブな目を向ける。性急な温暖化論議に飽いた読者にも、新鮮に違いない。

 この特徴ある本の方針を二つあげるなら、一つは、過去を基盤とした未来への長期的な視点だ。太古の気候変動の具体例を深く探り、それを踏まえて、気候モデルを援用しながら長期にわたる未来への影響−−炭酸ガス濃度、気温、氷床、海水面上昇、海水酸性化、などを考える。とりわけ、前回の間氷期であるエーミアン期の詳しい気候データが得られたことは大きい。また、五千五百万年前に起きた急激な超温暖化期PETM(暁新世・始新世境界温暖化極大イベント)を取り上げて、現代の温暖化問題に極めて適切と思われる指標を与えた。

 二つ目は、炭酸ガス放出に関する「控えめケース」と「極端ケース」の二つを並列して議論を進めたこと。「控えめ」は、現在387ppmに達している大気中の炭酸ガス濃度をすぐに下げようとしても現実的でないとして、2100年代の550〜600ppmをピークに炭酸ガス濃度を抑え込み、2200年には排出量をゼロにするモデルだ。IPCCの「低排出B1シナリオ」に相当する。実は過去に排出された炭酸ガスで、気温や海洋の汚染はもう後戻りできない上昇を始めている。「控えめケース」でもかなりな影響が、それも数万年も継続するという。

 もう一つの「極端ケース」は、地下に蓄えられた5000ギガトンの利用可能な炭素燃料をすべて使い尽くした場合だ。それ以上炭酸ガスは増えようがないという、豪快?なもの。2100〜2150年に炭酸ガス濃度は1900〜2000ppmのピークに達する。影響はもちろん非常に大きく、十万年をはるかに超えて残る。

 エーミアン期は控えめケースの、PETM温室期は極端ケースの、それぞれモデルとなる事例である。気候現象は複雑で理解途上だから、未来予測は難しい。だが過去に起きた事実は、未来への鏡になる。実際、この事例比較には説得力があるのだ。

 過去百万年以上にわたる氷河期では、氷期と温暖な間氷期が何度も繰り返された。その変動の原因は太陽と地球の位置関係による放射量変化にあり、炭酸ガスではない。十三万〜十二万年前のエーミアン間氷期では温暖な気候が数千年間続いた後、徐々に寒冷化した。海水面は温暖期を通して、ゆっくり7mほど上昇した。サハラを緑にした降水増加、テムズ川を泳いでいたカバなど、著者は当時の世界を、臨場感たっぷりに楽しませてくれる。この時の炭酸ガス濃度は300ppm程度だが、現代の温暖化の控えめケースのモデルとして十分に参考になる。

 五千五百万年前のPETMは、さらに興味を引く。すでにかなりの温暖期だったが、あるとき炭酸ガス濃度が突如増えはじめ、数千年で地球全体の気温は5〜6度も上昇。この高温状態はおよそ十七万年続き、海では大規模な酸性化で底棲(ていせい)の有孔虫などが大量に死んだ。温暖化の原因は、自然におこった炭酸ガスかメタンの大量放出である。温暖化ガスの急増による温室効果で地上から氷床が消滅し海面が70mも上昇するという「極端ケース」が招く状況が、実際に存在したのだ。規模も含め、まことにピッタリの事例である。

 ところで大気中に出た炭酸ガスは、なかなか無くならない。炭酸ガス循環の研究で、海による吸収作用の限界が分かってきた。炭酸ガスが減らないと気温は下がらず、氷床は溶け続け海水面は上昇し続ける。そうした影響が控えめケースでも数万年、極端ケースでは二十万年に及ぶというのも、本書の重要な視点だ。過去の事例もそれを裏書きしている。

 気候変動の影響はじわじわと、目に見えない。長期的に考えなければならない点が難しい。それに温暖化の影響には、ポジティブな面もあればネガティブな面もある。著者は、太陽−地球関係で本来なら五万年後に訪れる次の氷期を、人為的な炭酸ガスの増加がすでに食い止めてしまったと考えている。これには、太陽〜地球関係の変化の組み合わせも与(あず)かっているようだが。

 いずれにせよ、私たちが「始めてしまった」温暖化は、長期にわたって続く。だからその行方をよく見て、対応する努力と相応の投資が必要だと、著者は説く。

 多分、それは正しいだろう。(小宮繁訳)
    −−「今週の本棚:海部宣男・評 『10万年の未来地球史』=カート・ステージャ著」、『毎日新聞』2013年01月20日(日)付。

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