覚え書:「今週の本棚:渡辺保・評 『時代を生きた名句』=高野ムツオ・著」、『毎日新聞』2013年01月20日(日)付。
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今週の本棚:渡辺保・評 『時代を生きた名句』=高野ムツオ・著
(NHK出版・1260円)
◇巧妙細緻に「短詩形」で編まれた日本近代史
寒昴(かんすばる)たれも誰かのただひとり照井翠
照井翠は岩手県釜石の高校教師だった。
二〇一一年三月一一日、東日本大震災が起こった。四百人の生徒全員を無事体育館に避難させた。しかし間もなく周囲の状況が明らかになってくる。孤児になった生徒四人、片親になった生徒十六人、家を失った生徒無数。夜になって体育館にこらえきれずに泣く声が溢(あふ)れた。照井翠は校庭に出た。涙を抑えて振り仰ぐ夜空に輝く寒中の星座スバル。
私は初めこの句がよくわからなかった。しかし著者の評釈を読んで思わず胸が熱くなった。かけがえのない親を亡くした生徒たちの泣き声が聞こえるようだったからである。
間もなく震災二周年。復興は遅々として進まず。そのありさまを見るにつけ、この泣き声を忘れるべきではないと思う。
もともと私は俳句のような短詩形は花鳥風月を詠(うた)うのにはふさわしいが、東日本大震災のような大災害や戦争や社会的な現象を詠うにはふさわしくないと思ってきた。
しかし著者はそうは考えなかった。大きな社会現象を表現した俳句を選び、それに評釈を加えて、この短詩形のもつ可能性をひろげて見せたのである。たとえば戦争。
兵隊がゆくまつ黒い汽車に乗り西東三鬼
戦争が廊下の奥に立つてゐた渡邊白泉
いずれも戦争の足音が聞こえてくる。著者はこの二句にも、句の背後に隠された作者の人生、当時の日本の時代状況を簡潔かつ丁寧に描いている。そのために読者は、作品の向こう側に広がっている風景−−そして時代の意味を知ることが出来る。それはこの短詩形の限界を補填(ほてん)するものであると同時に、作品をより鮮明に浮かび上がらせるための方法である。この「詞書(ことばがき)」ともいうべき方法が折口信夫の『自歌自註』や安東次男の一連の芭蕉評釈のような名著を生んだ方法でもあった。
戦争はさらに悲惨な場面に進
んでいく。
水をのみ死にゆく少女蝉(せみ)の声原民喜
広島の原爆である。東京もむろん無事ではなかった。東京大空襲。
百方に餓鬼うづくまる除夜の鐘石田波郷
しかしやがて終戦を迎えた日本は目覚ましく復興した。みんな必死で働いたからである。
銀行員等朝より蛍光す烏賊(いか)のごとく金子兜太
私にとってこの句が印象深いのは、日本銀行で働く金子兜太の姿を遠くから見たからである。天井が高く冷え冷えとした日銀には蛍光灯の光が煌々(こうこう)と輝いていた。その下で働く人々。その姿は決して日銀だけのものではなかった。どこにでもある風景。それをとらえて、自嘲的に象徴化したところが名句である。
そう、この本は、俳句が時代を表現する可能性を示すと同時に、著者が俳句を使いながら巧妙細緻に編纂(へんさん)した日本近代史なのである。明治から今日まで。多くの戦争から東日本大震災まで。そこには私たちの社会の変遷があざやかに浮かんでいる。
むろん著者は時代を描くとともに個人の人生のつぶやきも忘れていない。
中年や遠くみのれる夜の桃
西東三鬼
夜の闇に匂う桃の香りは、中年にさしかかった作者の性的欲望の象徴だろうと著者はいう。
歴史はまた個人の人生の集積でもある。
わずか二百頁(ページ)ほどの本であるが、俳句の可能性を大きく広げた本であり、日本とはなんであるか俯瞰(ふかん)させる本である。
−−「今週の本棚:渡辺保・評 『時代を生きた名句』=高野ムツオ・著」、『毎日新聞』2013年01月20日(日)付。
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http://mainichi.jp/feature/news/20130120ddm015070036000c.html