覚え書:「直木賞に選ばれて−− 30年前のインド体験と等伯の世界=安部龍太郎」、『毎日新聞』2013年01月24日(木)付・夕刊。
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直木賞に選ばれて−−
30年前のインド体験と等伯の世界
寄稿 安部龍太郎
等伯を書く上でもっとも苦労したのは、法華経との関係をどうとらえるかということだった。
等伯が生まれた奥村家も、養子に行った長谷川家も熱心な日蓮宗の信徒である。寺や檀家の求めに応じて仏画を描く絵仏師だった。等伯も若い頃に日蓮上人像や十二天像などを描いて、今も北陸地方の寺などに相伝されている。
京都に出てからも日蓮宗本法寺に寄宿し、日堯上人像や巨大な仏涅槃図に取り組んでいる。縦十メートル、横六メートルの涅槃図の裏には、日蓮上人から始まる後継者たちの系譜と、家族や親族の名が書き込んであり、等伯の並々ならぬ信仰の深さをうかがうことができる。
等伯の画業も、人生の苦難を乗り切る強さも、信仰に支えられていた。それゆえこのことを深く理解しなければ、等伯の画業の真実に迫ることはできない。
そう思って法華経の勉強を始めたが、これがとてつもなく難しい。岩波文庫版を読もうとしたが、用語、用法が難しくて何を書いてあるかさっぱり分からなかった。
どうしたものかと頭を抱え、旧知の文化部記者に法華経に詳しい人を紹介してほしいと泣きついた。すると彼は、「それならうってつけの人がいます」と言って、植木雅俊さんを紹介してくれた。
植木さんは四十歳の時に、法華経を理解するにはサンスクリット(梵語)を勉強しなければ駄目だと一念発起し、十年間の語学勉強の上に八年間の翻訳期間を重ね、五年前に『梵漢和対照・現代語訳 法華経』(岩波書店)を上梓された。
これは第六十二回毎日出版文化賞に輝いた労作で、まるで演劇の台本のように面白く読むことができる。
なるほど古代インドの人々は、こんな問題意識をもってブッダの哲学と向き合っていたのかと、感激したり驚いたりしながら読み進めるうちに、ここに描かれている世界はかつて体験したことがあると思い当たった。
今から三十年前、深い悩みと苦しみを抱えてインドを旅した時のことだ。
人力車夫(リクシャワーラー)や物売り、物乞いにつきまとわれながら旅をつづけ、ブッダガヤの埃っぽい道を歩いていた時、頭の殻が割れたように忽然と分かったことがある。
人間は在りのままで尊い、人間の生き方んび善悪優劣はない、ということだ。そして全宇宙につながっている充実感とえも言われぬ歓喜が突き上げてきた。
(何だろう。この感覚は)
それを突き止めたくて、帰国後にインド関係の本を読みあさった。そうしてヒンドゥ世界が梵我一如と輪廻の思想を基本として成り立ち、ブッダがそれを母胎として新しい世界観を確立したことが分かった。
(それなら仏典にもボクがインドで感じたことと同じことが書かれているはずだ)
そう思っていくつかの経典に当たったが、難解な漢訳言葉にはばまれて目的を果たすことができなかった。
その探し求めていた世界が、植木さんが訳した『法華経』の中にきらびやかに広がっていた。
そして等伯の「松林図屏風」も、そうした世界観に裏打ちされて成立したことが、ぼんやりと分かり始めたのだった。
あべ・りゅうたろう=作家、『等伯』で第148回直木賞)
−−「直木賞に選ばれて−− 30年前のインド体験と等伯の世界=安部龍太郎」、『毎日新聞』2013年01月24日(木)付・夕刊。
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