覚え書:「今週の本棚:富山太佳夫・評 『アンチモダン−反近代の精神史』=A・コンパニョン著」、『毎日新聞』2013年02月17日(日)付。




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今週の本棚:富山太佳夫・評 『アンチモダン−反近代の精神史』=A・コンパニョン著

毎日新聞 2013年02月17日 東京朝刊

 (名古屋大学出版会・6615円)
 ◇“近代と反近代”複雑きわまりない関係に迫る

 本を読むことの楽しみは、他の人が読まない本を読むことのうちにある−−これは私が作った個人的な諺(ことわざ)であるが、この諺はときどき大変な事態につながることがある。今回がそうなのだ。どう説明したらいいか困惑してしまう本に出会ってしまった。この素晴らしさをどう表現したらいいのだろうか。

 これはアントワーヌ・コンパニョンが二〇〇六年にフランス学士院賞を受賞した本である(同じ年、彼はコレージュ・ド・フランスの教授に迎えられている)。この『アンチモダン』の厚さはと言えば、本文は上下二段組で三五〇頁(ページ)、注七五頁、人名索引一〇頁、監訳者による解題二段組一八頁というものである。常識的に言えば学術書ということになるだろうし、従って一般読者にとってはむずかしいということになるのかもしれない。書店の本棚からこの本を抜き出したとき、私もそう思った。しかも目次を見ると、第2部ではシャトーブリアン、ド・メーストル、ルナン、ペギー、チボーデ、ブルトン等々の名前がならんでいる。

 ただ最後に、ロラン・バルトについての章がひとつある。そこをパラパラめくっていると、彼のコレージュ・ド・フランスでの最後の講義の原稿の話が出てくる。そこでは「嘆き節が繰り返され、バルトの不安の核心、すなわち消滅しつつあるフランス語に触れている。フランス人(馴染(なじ)みの理容師やアパートの管理人)の口下手や『ラジオでの数え切れないほどのフランス語の間違い』がそれを証している」というのだ。一九八〇年二月二三日の最終講義絡みの話である。その二日後、彼は交通事故に遭い、世を去る。

 今から三〇年前にこの批評家の嘆いたことが、今の時代のテレビでは完全に日常化してしまっている。学校での「文学教師像(・・・・・)の凋落(ちょうらく)」にしてもそうではないか−−そんなことを考えた瞬間に、私はこの本を買うことにした。買ってしまえば、私のものだ。それを読んで誤解をしようが何をしようが、私の勝手である。私はそう腹を決めてこの本を読みだす、未知の発見を求めて。


 この本は、一九、二〇世紀のフランスの歴史、社会、政治、文学の中に出現したモダン(近代)とアンチモダン(反近代)の複雑きわまりない関係を考察した本である。その第2部は、それぞれの時代環境の中でこの二項対立に直面したシャトーブリアンからバルトまでの−−何と言えばいいのだろうか−−人物中心的な分析ということになる。勿論(もちろん)、単純な人物評伝ではなく、各人の反発したモダンの特性と、各人の辿(たど)りついたアンチモダンの特性が明らかにされて、全七章からなる文化史を構成することになる。人物評伝的でもあり、思想史的でもあるような、ともかくすさまじい迫力である。私はこの分野の専門家ではないので気持ちよく感嘆できるのだが、もしそうであったなら、落ち込んでしまうかもしれない。職業上、このようなレベルの本を読むときには他分野のものにかぎるようである。

 ともかく第2部でそのように感心し混乱したあとで、第1部に移る。そこで扱われるのは反革命、反啓蒙(けいもう)思想、悲観主義、原罪、崇高、罵詈雑言(ばりぞうごん)というアンチモダンの言説を支える「いくつかの主要な思想、いくつかの不変の主題、現代性の底流をなすいくつかの常套句(じょうとうく)」である。この部分には不満がある。もし英独におけるモダン/アンチモダンの関係との比較がなされていたら、例えば「崇高」をこのようには扱わなかったかもしれないので。(松澤和宏監訳)


    −−「今週の本棚:富山太佳夫・評 『アンチモダン−反近代の精神史』=A・コンパニョン著」、『毎日新聞』2013年02月17日(日)付。

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アンチモダン -反近代の精神史
アントワーヌ・コンパニョン
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