覚え書:「今週の本棚・この3冊:3.11=松岡正剛・選」、『毎日新聞』2013年03月10日(日)付。




        • -

今週の本棚・この3冊:3.11=松岡正剛・選
毎日新聞 2013年03月10日 東京朝刊

 <1>ツナミの小形而上学(ジャン=ピエール・デュピュイ著、嶋崎正樹訳/岩波書店/1995円)

 <2>鯨と原子炉(ラングドン・ウィナー著、吉岡斉・若松征男訳/紀伊國屋書店/品切れ)

 <3>アクシデント(ポール・ヴィリリオ著、小林正巳訳/青土社/品切れ)

 あえて海外の三人の目を通した3・11を選んでみた。

 まず、スマトラ沖地震津波のあとに書かれたデュピュイの『ツナミの小形而上(けいじじょう)学』だが、この本はこれからの世界の災害はすべからく「ツナミ的なるもの」との遭遇によって語られるべきだとして、二十一世紀の哲学もそうした災害観察とその渦中での思索から生まれるべきだと提案する。その通りだ。

 この提案は、一七五五年のリスボン地震によって、ヨーロッパ思想がそれ以前の予定調和観からルソーやヴォルテールの啓蒙(けいもう)力に大転位したことを思い起こさせる。日本はそのような取り組みに向えていない。

 ウィナーの『鯨と原子炉』は、鯨のような生きものの多様性を忘れると、原子炉の限界を認識することを忘れてしまう危険を指摘して、これからのわれわれが人を含めた環境生物と原子炉を含めた技術環境の両方の「システム」を同時に相手にして生きていかなければならない、それにはときに原子炉を鯨とみなせる技術知性が必要だと訴えた。これもその通りだ。

 ヴィリリオの『アクシデント』は「事故と文明」という副題をもった名著。現在の文明は圧倒的な速さと事故の大きさとによって過去の文明とまったく異なっているものになってしまったのだから、われわれは自分たちの意識や知性も速度と事故によって変形を受けていると見たほうがいい。

 それなのにそのことをあまりに看過してきたため、いまや文明的な知性はかなりの危機に瀕(ひん)してしまった。これではまずい。ここはいよいよ、事故のたびに技術文明が隠してきたことたちを、かつて神話が隠してきたことを全知性が解明したように、いよいよ白日のもとに晒(さら)すべきだ。そのためには事故から目を背けず、すべての事故の残骸を残しておくべきである。そういう主張である。

 被災者が見たくない事故の痕跡からしか新たな文明観は生まれないというのだから、これはそうとうラディカルな主張だ。しかしこの見方が、かつてヴァレリーが「道具は便利になると意識から消えていくが、新たな意識は事故によってしかめざめない」といった意味であるとするなら、その通りなのだ。

 以上、三つのヒントがぼくの3・11の読み方を変えたのだった。
    −−「今週の本棚・この3冊:3.11=松岡正剛・選」、『毎日新聞』2013年03月10日(日)付。

        • -


http://mainichi.jp/feature/news/20130310ddm015070012000c.html








202

203

ツナミの小形而上学
ツナミの小形而上学
posted with amazlet at 13.03.14
ジャン‐ピエール・デュピュイ
岩波書店
売り上げランキング: 161,447

鯨と原子炉―技術の限界を求めて
ラングドン ウィナー
紀伊國屋書店
売り上げランキング: 305,225

アクシデント 事故と文明
ポール ヴィリリオ
青土社
売り上げランキング: 328,766