覚え書:「書評:銀座並木通り [著]池波正太郎 [評者]逢坂剛」、『朝日新聞』2013年03月17日(日)付。




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銀座並木通り [著]池波正太郎
[評者]逢坂剛(作家)  [掲載]2013年03月17日

■心に食い込む不思議なリズム

 最後の文士(とあえていおう)池波正太郎は、すでに死して23年になろうとするが、今もなお広く江湖に読み継がれる、稀有(けう)の作家の一人である。
 本書には、表題作を含む初期の現代劇が3本、収められている。現代物といえば、亡くなる2年前に発表された小説『原っぱ』がある。この人の現代物は、時代物とはまた異なる、独特のノスタルジックな味わいを持つ。それはいわば、マジックミラーの裏表で、前から見えないものを後ろからすかして見る、ひそやかな感覚を呼び起こす。
 めったに、けれんを使わぬ作家だが、その点は小説でも戯曲でも、また時代物でも現代物でも、同じである。一読して、さしたるドラマはないと思えるのに、読後に深く心に食い込んでくるのは、この人特有の不思議なリズムに、酔わされるからだ。
 本書で作者は、旧来の脚本の形式にこだわらず、ト書きをしばしば過去形で書いたり、登場人物の心理を〈叙述〉したりする。これらは、後年の小説への萌芽(ほうが)、とみてよい。また『冬の旅』の主人公で、結婚しながら妻の座をおろそかにし、絵の修業にのめり込む女性画家の姿は、玄人はだしの画人でもあった、作者自身の投影であろう。劇中に、おりに触れて音楽の話題がからむのも、作者の嗜好(しこう)を反映して興味深い。
 3作の中では、最後の1幕物『夫婦』が、もっとも読みごたえがある。下町の保健所を舞台に、防疫係長の立花と妻の直子の夫婦愛、所員の栗原と恋人真佐子の純愛、それに反発する栗原の父親との確執が、短い舞台の中にきびきびと展開されて、間然するところがない。最後に明かされるエピソードは、読者(あるいは観客)に、粛然とした驚きと感動をもたらすだろう。
 若書きながら、本書には後年の池波正太郎のすべて、とはいわぬまでもほとんどの資質が、凝縮されている。
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 幻戯書房・2310円/いけなみ・しょうたろう 1923−90年。作家。『鬼平犯科帳』『剣客商売』など。
    −−「書評:銀座並木通り [著]池波正太郎 [評者]逢坂剛」、『朝日新聞』2013年03月17日(日)付。

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