覚え書:「書評:『バタイユ 聖なるものから現在へ』 吉田裕著 評・管 啓次郎」、『読売新聞』2013年3月10日(日)付。


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バタイユ 聖なるものから現在へ』 吉田裕著

評・管 啓次郎(詩人・比較文学者・明治大教授)
不安が生んだ思想


 太陽がすべてを与えている。地球上の生命とは太陽エネルギーが変換された現象にすぎない。

 あたりまえのことだが、何度でも確認しておく必要がある。そして地球が閉鎖系である以上、地上で消費できるエネルギーの総量が限られていることも。昨年没後50年を迎えたフランスの思想家ジョルジュ・バタイユの発想の根底にあったのも、この太陽からの贈与という視点だった。

 太陽はみずからを破壊して地球にエネルギーを与える。その過剰から生命が生まれる。生命は増殖を本質とし、増殖は余剰を生み出す。人間は有用性を原理として社会を営むが、有用性だけが支配する社会には希望もよろこびもない。過剰な部分を蕩尽とうじんすることの昂揚こうようが、人をいきいきとさせる。無用、浪費、違反、祝祭。現在、そうした発想があまり違和感をもたらさないのは、すでにわれわれがバタイユのいう「一般経済学」の思想圏にいることの証明かもしれない。

 本書はそんなバタイユの全貌を、丁寧に概観する。論述は、あくまでも明晰めいせきで、ゆるぎなく、ゆるみもない。古文書学校を出た図書館員として終生すごしつつ、多くの文学者・哲学者・芸術家たちと地下水系のような交渉を保ちながら、娼家しょうかを好み、バタイユはすべてを考えた。社会学、宗教学、哲学、文学、美術史。すべてを横切るようにして、「死」という想念にとりつかれずには生きてゆけない人間存在の核心を考えた。

 あらゆる通念(ドクサ)に対してスキャンダラスなまでに抵抗を試みたパラドクサル(逆説的)な人。彼が第一次大戦からヒロシマアウシュビッツにいたる大量かつ無名の死をつきつけられてきた世代に属していることには、大きな意味があるだろう。痛いほどの不安が生んだ思想だと思う。それはわれわれの多くが共有している不安だ。チェルノブイリがあった。福島の状況はいまも続く。有用性・計画性の社会の破綻に直面した現在、改めてバタイユの姿勢に学びたい。

 ◇よしだ・ひろし=1949年生まれ。早稲田大教授。

 名古屋大学出版会 6600円
    −−「書評:『バタイユ 聖なるものから現在へ』 吉田裕著 評・管 啓次郎」、『読売新聞』2013年3月10日(日)付。

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バタイユ 聖なるものから現在へ
吉田 裕
名古屋大学出版会
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