覚え書:「書評:『労働組合運動とはなにか』 熊沢誠著 評・開沼博」、『読売新聞』2013年03月31日(日)付。
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評・開沼 博(社会学者・福島大特任研究員)
自立を求める営み
私たち「おじさん」は、ウザイと煙たがられても、労働組合の必要性を説き続けなければなりません――。
そんな若者・女性への思いを「主題の前置き」としつつも最終章でアツく語る労働研究の大家。「労働組合運動の復権」と題された講義を基に作られた本書は労働組合運動の歴史と現在の全体図を与えてくれる。
地味な労役を担う大多数のノンエリート。彼ら/彼女らが労働における不当な支配や操作からの自立を求める営みが労働組合運動だという。
その初期に位置づけられるのは19世紀半ば英国で生まれた職種別組合。熟練工たちによる労組は、企業に呑のませる「標準賃金」や失業・死亡保険制度を整えた。19世紀末には、特定の技能をもたない港湾労働者の間で「誰でも入れる」一般労組が広まり最低保証賃金や就労斡旋あっせんも制度化される。だが、労組の発展はそれへの弾圧も強化。労組専門の探偵や「警備」会社が社会主義の根と共に労組運動を潰していきもする。
日本における労組運動も明治30(1897)年代から始まるが、会社への団体交渉やストライキはおろか、組織化自体なかなか許されない。許されたのはその後も日本に根づくことになる「縦の組合」=企業内組合。各企業の労組運動に部外者が介入しないからだ。大正期や戦後初期には激しい争議も起こったが、企業内組合の中で年功制度や労使協調が生まれていく。そして「新自由主義的改革」の中、労組組織率は下がり、駆け込み寺としての期待も失われていく。
「ストなし万歳」の現代。格差社会の中で生まれた「しんどい思いを抱える人々」は労組運動より「(鉢巻に組合旗みたいな“いかにもな運動”には引いてしまう)普通の市民」による脱原発運動や「(とにかく左翼っぽいものを嫌う)愛国者」たちの排外主義運動に向かっているようにも見える。労組運動の再生に健全なセーフティーネットと中間団体の回復の可能性を見出みいだす著者の主張を読み直す意義は小さくない。
◇くまざわ・まこと=1938年生まれ。甲南大名誉教授。専門は労使関係論。著書に『働きすぎに斃れて』など。
岩波書店 2100円
−−「書評:『労働組合運動とはなにか』 熊沢誠著 評・開沼博」、『読売新聞』2013年03月31日(日)付。
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http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20130402-OYT8T01039.htm