覚え書:「今週の本棚:高樹のぶ子・評 『神隠し』=長野慶太・著」、『毎日新聞』2013年04月14日(日)付。




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今週の本棚:高樹のぶ子・評 『神隠し』=長野慶太・著
毎日新聞 2013年04月14日 東京朝刊


 (日本経済新聞出版社・1575円)

 ◇謎を超えて人間存在に迫る“本末転倒”の魅力

 小説の最初に置かれた謎が、最後には解かれなくてはならないのがミステリーの掟(おきて)だとすれば、この掟は作品の自由を制限するのだろうか。

 掟があるからこそ、この器に様々なテーマを盛り込むことが出来るのだとも言える。

 自由律の詩より俳句や短歌の方が、貪欲放恣(ほうし)に感性を踊らせることができて、しかも読者にすれば音律の快があるので読みやすいという事実を、ミステリーに援用するのはいささか強引であるにしても。

 謎は心の平安を乱し、読者はどうにかして解答を得ようとする。暗闇の中に置かれれば、出口を探し求めるのが人間の本能。この本能を利用してミステリーは成立していることを認めなくてはならない。

 謎は解かれなくてはならないが、解かれる謎には様々なレベルがある。

 殺人事件が起き犯人が判明すれば、それですべて解決される少年探偵団的小説から、事件が起きる背景をえぐり、社会や時代のテーマを炙(あぶ)り出す作品、はたまた人間心理に巣喰(すく)う狂気にまで手をのばしたりと、層も深さも様々あるけれど、エンターテインメントでは謎が謎のまま残されることは許されず、最後まで読み進めて来た読者に何らかのカタルシスを与えなくてはならない。

 となると、そのカタルシスの質と余韻の強さで、作品の力が問われることになる。

 セキュリティ・チェックがもっとも厳しい空港のセキュリティ・チェックポイント内で、子供が消えた。あり得ない事件を最初に置いて、その謎を解いていき、読者を見事に得心させるのが本作だ。エンターテインメントとしての要件を十分に満たしている。

 この謎解きの筋道は、何が何でも通さなくてはならないのだが、それだけでは読後のカタルシスと余韻は小さくなる。ああそう来ましたか、でおしまい。

 カタルシスの質と余韻を大きくするのは、実は表向きの筋道ではない。骨組みではなく血管や筋肉あるいは細胞という、入り組んで絡み合う他の要素だ。人体に譬(たと)えるのが相応(ふさわ)しいほど、あやふやで曖昧、割り切れない人間性、つまり合理的な筋道に反するものによって、カタルシスと余韻が与えられるのである。

 論理的で整合性のある骨組みと、論理や整合性では扱えない人間存在の実態を、どう組み合わせ調和させるかがミステリーの要諦だとすれば、筋道を辿(たど)ることで、やがて深々とした人間の実情に導く本作は、ミステリーの王道を行く成功例と言える。

 空港のセキュリティを通過した「密室」で子供が消えたという謎は、空港という特殊な場所の盲点だけでなく、国際間の法的なシステムの違いなどを一つ一つ解きほぐすことで明かされていくのだが、その謎が解かれたあとにも、処理できない親子や夫婦の情が残される。

 ミステリーとしての表側の筋道骨格が最終決着を見たあたりで、突然吹き上がり横溢(おういつ)し、胸に広がる切ない読後感は、必死で辿ってきたはずの理路を消し去り、さほど大事なことでもなかったのではと思わせてしまう、つまりは本末転倒。

 ミステリーを読む愉(たの)しみは何か、と自問すればまずは謎解きの筋道を追うことだろう。しかし筋道などは頭脳と取材で数理的に作りあげることも出来るのだ。頭脳と取材で作れないものこそ、実はこのジャンルを支えているのだと、あらためて自己矛盾に気付かせてくれるのもミステリーの魅力である。
    −−「今週の本棚:高樹のぶ子・評 『神隠し』=長野慶太・著」、『毎日新聞』2013年04月14日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130414ddm015070027000c.html








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