覚え書:「今週の本棚:湯川豊・評 『無地のネクタイ』=丸谷才一・著」、『毎日新聞』2013年04月14日(日)付。
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今週の本棚:湯川豊・評 『無地のネクタイ』=丸谷才一・著
毎日新聞 2013年04月14日 東京朝刊
(岩波書店・1470円)
◇名人芸をたっぷり味わう最後の軽エッセイ集
丸谷さんがいちばん最後まで連載をつづけた(「図書」)、短いエッセイをまとめた本である。全集をはじめこれからも丸谷さんの本は編まれていくだろうが、これは最後の本の一つということになる。そして軽妙なエッセイの名人芸をここでもたっぷりと味わうことができた。
一編は雑誌の見開き二ページほどで、ごく短い。そのせいもあるのだろうか、私が「お楽しみエッセイ」と呼んでいた丸谷さんの文章のなかでは、わりに単刀直入という感じの発言が多い。そこが、この本の第一の特徴といえそうだ。たとえば、将棋の升田幸三の発言にからめた文章論。
「ぼくは、いくら名文を書いたといっても、読んでツヤのない文、楽しみのない文を書いてもしかたがないと思う」(升田幸三『勝負』)
という升田の発言を、丸谷さんは文学の局外者による卓抜な文章論とし、現代の文芸評論に責任がないか、と言葉を継ぐ。文芸評論は「思想と観念を重んじるあまり美を軽んじた」、そして大切な文章の巧拙を無視した、とズバリ直言する。
この短文集の第二の特徴は、すべてが何らかの意味で文明のあり方の考察であることだ。発表の場所が「図書」であるのが、意識されてもいるのだろう。文明のよき方向への発展を願う、丸谷さんのいつもの姿勢がくっきりと出ている。
たとえば、しっかりした引用句辞典が欲しいと語る「ほしい辞書」。「暮春には春服既に成り……(中略)わたしの憧れる生き方である」という文章に出会って、その出典を「春服」を手がかりに調べたくなるではないか。それに対応する引用句辞典がわが国でとぼしいのは、明治以後の近代化を乗り切るために、古人の名文句や名台詞(せりふ)という積荷をあえて捨ててしまったからだ、と急所をつく発言。
その上で、日本人は最近になって引用句のとぼしい文化の寂しさに気づいたようだ、と指摘する。齋藤孝氏の『声に出して読みたい日本語』が人気を博したのは朗読のすすめという性格もあるけれど、より根本的には、過去と断ち切れて薄れてしまった日本語の生命力を、古典からの輸血によって取り戻したい気持のあらわれであるという。
引用句辞典という、丸谷さん得意のフィールドで話をすすめながら、ふっと飛躍して文明のあり方に及ぶ。丸谷さんだけに可能、といいたくなるような説得力がある。
もう一つこのエッセイ集に際立つ点を挙げるとすれば、時事的な話題をごく自然にとりあげていることだ。とりあげながら、不要に暑苦しくなりすぎないのが、いかにも丸谷さんらしい。
たとえば、日本人が世界でもとび抜けて死刑肯定の気分が高いのはなぜか、という考察。古代からの「御霊(ごりょう)信仰」に結びつけて考えをすすめる姿勢はきわめて柔軟で深い。
また、3・11東日本大震災にも、ふれている。雑誌「東京人」の地震特集をほめながら、東京に巨大地震が起きたとき、千代田区の避難所が考えられていないのが不思議で、皇居を開放するべきだと発言する。原発問題では、伊東光晴氏の論文をなぞるように紹介しながら、はっきりと脱原発に向かうべきだと、その可能性の根拠まで探りながら主張している。
硬い話ばかりの紹介になったが、ついニヤリとする文章にもむろん事欠かない。「パーティといふ祭」では、五十代以上の女性は威勢のいい色づかいの服で参加してください、と勧めている。何やら最後まで色っぽいことを考えつづけた丸谷さんを思い、楽しくなり、そして寂しくなる。
−−「今週の本棚:湯川豊・評 『無地のネクタイ』=丸谷才一・著」、『毎日新聞』2013年04月14日(日)付。
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http://mainichi.jp/feature/news/20130414ddm015070024000c.html