覚え書:「今週の本棚:鴻巣友季子・評 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』=村上春樹・著」、『毎日新聞』2013年04月21日(日)付。




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今週の本棚:鴻巣友季子・評 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』=村上春樹・著
毎日新聞 2013年04月21日 東京朝刊

 (文藝春秋・1785円)

 ◇血を流す傷と対峙する“無色の男”の物語

 文学には異性関係を超越したプラトン的ソウルメイト(片割れ同士のような魂の友)が描かれてきた。トリスタンとイゾルデ、キャサリンヒースクリフ。その調和は完璧であるほど生身の世界を離れ死に近づく。村上の小説でも『1Q84』の天吾と青豆、『国境の南、太陽の西』の「僕」と島本さんなどがそれに中(あた)るだろう。こうした深い絆を持ちうるのは男女二人とは限らない。『ノルウェイの森』では、直子とキズキというカップルに主人公が加わり「三人だけの小世界」を形成し、最新作ではそれが五人の男女混合ユニットになった。主人公を除き姓に色が入っており、アカ、アオ、シロ、クロと呼ばれるが、ミスター・ブルー、ミス・ホワイトなどとも書かれ、村上もよく知る米作家ポール・オースターの『幽霊たち』を即(ただ)ちに想起させる。二人連れで街を歩く恋人を目撃する場面など、下敷きにした部分もあるかもしれない。

 名古屋の進学校に通う五人の「乱れなく調和する共同体」の中で、名前に色のないつくるは自分だけが「色彩の希薄な」取(と)り柄(え)のない人間と感じていたが、鉄道の駅舎造りを学ぶため、仲間と離れ東京の大学へ入学。あるとき突然、訳もわからず四人に絶縁され、自殺を考える。半年後、生きる気力を辛うじて取り戻し、卒業後は念願の駅舎建設の仕事について一見優雅な三十六歳の独身男に。二歳年上の恋人沙羅から、あなたの過去の傷はまだ血を流している、「記憶は隠せても、歴史は消せない」と喝破され、四人と対峙(たいじ)する巡礼の旅へ出る(なにせ沙羅はその問題を克服しない限りもう寝てくれないと言うのだ!)。

 とはいえ四人の消息を調べあげお膳立てしたのは恋人で、主人公は過去作群の男性たち同様おおかた受け身であり、おなじみの性夢でも女性にお任せ。また女性が妊娠途絶し後に死に至る(瀕(ひん)する)というセットパターンも踏襲されている。「その闇はどこかで、地下のずっと深いところで、つくる自身の闇と通じあっていた」など村上作品特有の言い回しも鏤(ちりば)められ、作者のテーマやモチーフを集約した感もある。

 つくるは仲間から弾(はじ)かれた後、灰田というこれまた色の名をもつ下級生と友だちになり、灰田の父が体験した不思議な話を聞かされる。そこには、取引を持ちかける悪魔のような男が登場する。灰田とのエピソードは唐突に始まり唐突に終わる。

 つくるが疎外された理由も謎だが、これほど甚大にして不可解な事件に彼が一言の追及もなく蓋(ふた)をしてしまったのも解し難い。村上の小説には、自分を理不尽に害する相手に立ち向かわずただ背を向ける人々がよく出てくるが、この受動性は処女作『風の歌を聴け』で既にこう疑問視されていた。「私があなただったら、そのオマワリをみつけだして金槌(かなづち)で歯を何本か叩(たた)き折ってやるわ」。「僕」は答える。「もうみんな終わったことさ」冗談めいて始まったこの問いかけは後にも反復される。例えば『ノルウェイの森』で少女暴行の濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)を着せられたピアニストのレイコさんに夫が怒る。「俺がそこの家に行って直談判してきてやる」。彼女はただ、引っ越しましょうと言う。こうした働きかけ(私があなたに代わって/あなただったら)は本作にも持ちこされた。沙羅が「私があなただったらそこに留(とど)まって、納得がいくまで原因を突き止めるけどな」と言うと、つくるは「ずっと昔に起こったことだ」と一旦は流そうとするが、今回は訴えかけに応じる。

 つくるが絶縁されたのは、仲間の一人が彼に暴行されたと嘘(うそ)を言いだしたから。この人物は仲間の関係の変化を恐れ、才能の壁にもぶつかって精神を病み、やがて寛解の時期を経て悲惨な結末を迎える。その虚言のせいで自殺しかけたつくるや、この人物の世話で人生が潰れかけた仲間は、手を下したのは「象徴的に」自分であったかもしれないと結論するが、実際の犯人は最後までわからない。ヒントからの推測は自由だろう。灰田とのパートは、意味深な記述を満載しながら前後との接続がないように見え、そのあまりの断絶ぶりにむしろ本筋との深い繋(つな)がりや役割を感じる。ラストにサリン事件への短い言及があるが……。因(ちな)みに私は『幽霊たち』に先立つチェスタトンの「ブルー氏の追跡」を読み返していて、ある解釈を思いついた。

 ここでもまた心の弱みにつけ入る邪悪と「分身的なダークネス」という馴染(なじ)み深い主題が変奏されているのだろう。おまけのように見えて灰田とのパートは最重要と思う。

 ソウルメイトとの美しい関係の裏には、自分たちだけを特別視する傲慢(ごうまん)さがある。またもや村上の主人公は最後に、人の心を結びつけるのは調和(完全さ)ではなくむしろ傷(不完全さ)であると気づく。血を流さない赦(ゆる)しはないと。彼岸からの呼びかけを拒み、凡庸で不格好な俗世に彼は漸(ようや)く入っていくだろう。

 それはそうと、かつて村上の小説にうっすらあった自己批評性としたたかなユーモアはどこへ行ったんだろう? その謎の方が気になる。
    −−「今週の本棚:鴻巣友季子・評 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』=村上春樹・著」、『毎日新聞』2013年04月21日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130421ddm015070031000c.html








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