覚え書:「今週の本棚:持田叙子・評 『沈黙のひと』=小池真理子・著」、『毎日新聞』2013年04月21日(日)付。




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今週の本棚:持田叙子・評 『沈黙のひと』=小池真理子・著
毎日新聞 2013年04月21日 東京朝刊


 ◇持田叙子(のぶこ)評

 (文藝春秋・1785円)

 ◇いのちの果てに往還する父娘の時間

 お父さん。お父さん、お父さんお父さん、お父さーん……。

 父恋いの濃密な声が、この本いっぱいにこだまする。少なくとも読者にはあざやかに聞きとれる。それは、すでに黄泉路(よみじ)をゆく父のうしろ姿に投げかけられる切ない呼び声だ。

 生前、ひとりの人間としての父のことを全く知ろうとしなかった自身の若さのおごりを恥じ、悔い、父の魂をなつかしく撫(な)でる娘のしずかな哭(な)き音(ね)でも、それはある。

 二〇〇九年三月中旬、風のつよい日曜日。晩年の四年余をそこで暮らし、八十五歳で逝った父の遺品を整理するために「私」が、介護付有料老人ホーム「さくらホーム」にタクシーから降り立つ場面より、この長篇小説は始まる。

 「沈黙のひと」という題名はまことに暗示的。「私」の父・三國泰造(みくにたいぞう)のなかには、さまざまの<沈黙>が重層する。彼は、沈黙に守られた秘密の恋を長年かかえていた。ホーム入所の原因はパーキンソン病で、指も口唇ものども震え、しだいに沈黙の海底に「だるまのように」沈没してゆく日々に耐えた。

 そこに彼の生きた時代性−−昭和十八年学徒出陣し、多くの知友を失い、しかし高度成長期の企業戦士として戦争体験の辛苦に口をつぐんで生きた、寡黙な世代としての特徴も加わる。まさに、<沈黙のひと>。

 両親が早く離婚し母子家庭に育った娘の「私」は、特に父とは疎遠である。そもそもオヤに関心がない。精いっぱい自分の人生を生きてきた−−「私はたぶん、初めから、家族と離れて生きることしか考えていなかったのだ」。

 なのに難病をわずらいホームに入った最晩年の父に、思いがけない濃い情愛が湧く。それまで子を捨てた者として自制していた父も、話せずワープロも打てなくなった彼のために娘が考案した「文字表」を震える指で必死にさし、「え」「り」「こ」と娘の名をつづる。

 それぞれの人生の大半を離れて生きてきた二人は、いのちの果ての季節のなかで固く結びつき、寄りそって風雨をしのぐ。これを人生終盤の悲惨というべきか、老いと病いがもたらした天与の僥倖(ぎょうこう)というべきか−−。

 「私」はホームから父のワープロや書簡を持ち帰り、供養の心で遺(のこ)された言葉を読みとく。話せなくなった父の内面への旅でもある。その過程で長年秘められた父の恋も発覚する。父の遺品や思い出にうながされ、「私」は多様な時間を往還する。この時間の織物がみごと。戦後昭和史と個人史を重ね、巻き広げる。

 親子三人で幸せに暮らした白い社宅、木の門扉をひらくと芝生があった。社会人となり訪ねてきた娘を、いつまでも人波の中に追う泣きそうな父の顔。出征のさい文学青年の父が詠んだ歌、「プーシュキンを隠し持ちたる学徒兵を見逃せし中尉の瞳を忘れず」。教養の世代でロマンチストでお坊ちゃんで、理不尽な恋の情熱に憑(つ)かれて二度も家庭を壊し、結局はやみくもに働いて建てた自分の家で死ぬ願いさえ、かなわなかった父。「私」の母のおもい認知症を知り、号泣する父……。

 ああ、そして、晩年の病む父と「私」との、初めてでさいごのスキンシップの描写がすばらしい。車椅子の「痩せた父の身体は骨ばっていて」、背後からそっと抱きしめる。父の「痩せて角張った小さな膝」「尖(とが)った肩」「ひんやりとして骨ばった手」。−−その手は、脳梗塞(こうそく)の発作で朦朧(もうろう)と点滴をうける時も、私が握るとつねに「力なく握り返してきた」。哀切を極める。吉川英治文学賞受賞作。
    −−「今週の本棚:持田叙子・評 『沈黙のひと』=小池真理子・著」、『毎日新聞』2013年04月21日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130421ddm015070010000c.html






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