現実の進行は、すべての予想を裏切る。



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 だが、この稿のはじめに書いたように、挿画を書いて発表したいという、子供のころの夢は六十を超えてかなったことになるわけだから、いよいよもって、いうことはないのだ。
 本道へもどっても、おそらく私は、もう絵を捨てきれないだろう。神さまは老後のたのしみ、生き甲斐を与えて下すったのか……。
 絵のほうは欲念もなく、たのしみに描くだけだから健康にもよいらしい。
 「ジョギングなんかをするよりも、ずっといいですよ」
 と、知り合いの医者にいわれたことがある。
 これまでも欲張ったり、気負ったりしたことがない私だけれども、これからは、いよいよ無駄な事を捨てて、でき得るかぎり、簡素に生きたいと切におもっている。
 そして、容易ならぬ時代の訪れを、どのように受けとめて行くか、これが最後の難関で、予想もつかぬ。
 精神も肉体もおとろえるばかりの齢になって、来るべき凄まじい時代に直面するのは、まったく恐ろしいことではある。
 現実の進行は、すべての予想を裏切る。
 これも、六十余年を生きてきて、はっきりとわかった。
 予想なんていうものは、当たったためしがない。
    池波正太郎「鉛筆と共に」、『新 私の歳月』講談社文庫、1992年、147−148頁。

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1990年の今日5月3日は、池波正太郎先生のご命日。
起床後、手を合わせてから、ゆっくり『鬼平犯科帳』を通読しています。1カ月ぶりの休日になりましたが、贅沢な一日ではないかと思います。

うえの文章は、晩年の池波さんのエッセーからの一こまですが、池波先生のヒューマニズムと、何が起ころうとも乗り切っていくその「気概」に啓発を受けると共に、そうした師恩を引き受けてもいかなければと思う次第です。

いろいろと、面倒になって投げ出したくなる毎日ですが、一日一日を「生き切っていく」ほかありませんね。







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新・私の歳月 (講談社文庫)