覚え書:「今週の本棚:本村凌二・評 『経済史の構造と変化』=D・C・ノース著」、『毎日新聞』2013年05月05日(日)付。




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今週の本棚:本村凌二・評 『経済史の構造と変化』=D・C・ノース著
毎日新聞 2013年05月05日 東京朝刊

 (日経BPクラシックス・2520円)

 ◇社会経済の浮沈の鍵を時間軸から解き明かす

 もし古代ギリシャ人が一七五〇年のイギリスに連れて来られたとしても、まだ見慣れたものがかなり残っていたはずだ。だが、その二百年後に降り立ったとしたら、理解不能な異空間に来たと感じただろう。

 さかのぼれば、およそ一万年前に地球は長い氷河期を脱した。そのころマンモスなどの大型動物は絶滅していた。人間が獲物として食い尽くしてしまったのだ。狩猟・採集の時代から農耕と牧畜がはじまり、やがて、ギリシャ・ローマの時代まで八千年の時が流れている。その古代文明の栄華の場に新石器時代の人間が立ったとしたら、やはりまるで見知らぬ異空間と思うにちがいない。

 この一万年の間に、人類の物質生活はどのように変化したのか。それを経済史という概念でとらえ、「経済の構造と実力(パフォーマンス)を時間の流れの中で説明する」のが本書の試みである。

 歴史上の人類は、知識の蓄積を重ねながら、不可逆的な経済発展を実現できなかった。文明も政治・経済組織も栄枯盛衰をくりかえしている。このような社会経済の浮沈を説明するには、人間の組織について理解を深めなければならない。それには経済理論の枠組みが必要であり、とりわけ古典派、新古典派マルクス主義の理論が参考になるという。

 古典派モデルの経済史は、人口と資源の葛藤の歴史であり、19世紀半ばまでの変転なら理解しやすい。また、新古典派は、知識の限界点での代替財の追加を想定することによって、欧米で実現した未曽有の経済成長に迫ることができる。さらに、長期的な変化に目をやれば、マルクス主義の枠組みがもっとも説得力があるという。それは制度、所有権、国家、イデオロギーなどの人間の諸要素を盛りこんでいるからだ。だが、人口変動を重視しなかったところに欠陥がある。

 経済史の根底には人々が協力・競争する形態とそれらの活動を組織するルールの執行システムがあるという。このルールが社会の富と所得の分配を決めるのだから、所有権の構造をにぎる国家は経済史の重要なテーマであるはずである。だが、この視点は今の経済史には欠落していると著者は指摘する。

 ところで、冒頭にあげた二つの異空間は、歴史上、人口と資源の比率が激変し断絶したために生じた。第一次経済革命と第二次経済革命とよばれる。

 第一次経済革命は、狩猟・採集から農耕へ移行したというよりも、共有資源から排他的所有権に変わったからである。そのために知識と新技術を獲得する動機(インセンティブ)が働く。古代の経済は著しく発展し、19世紀以前の社会で一人当たりの所得がもっとも高くなるのは、2世紀のローマ帝国だったという説もあるほどだ。

 16世紀以降の西欧では、取引コストを下げる「効率的な経済組織」が形成され、やがて市場経済が発展する。それは国家が所有権の保護を適切に行うようになったからだ。そこから第二次経済革命への道が開く。しかし、制度は必ずしも効率的ではなく、非効率的な制度が存続して、国家が経済成長を促進しない場合もありうる。そこに「正の取引コスト」という概念を経済史の研究にとりこむ余地が見えるという。

 著者は、経済史に経済理論や数量分析を導入した功績により、一九九三年にノーベル経済学賞を受賞している。短い時代と狭い地域の史料ばかりにのめりこみがちな歴史家には、衝撃と瞠目(どうもく)の一書である。(大野一訳)
    −−「今週の本棚:本村凌二・評 『経済史の構造と変化』=D・C・ノース著」、『毎日新聞』2013年05月05日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130505ddm015070036000c.html








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