覚え書:「今週の本棚:堀江敏幸・評 『S先生のこと』=尾崎俊介・著」、『毎日新聞』2013年05月12日(日)付。




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今週の本棚:堀江敏幸・評 『S先生のこと』=尾崎俊介・著
毎日新聞 2013年05月12日 東京朝刊


 (新宿書房・2520円)

 ◇悲しみと悔悟を映す“翻訳者の声”を慕って

 学生の頃、脈絡なく読んで引き込まれた数冊のアメリ現代文学の翻訳書を通して、私はその人の声を信用するようになった。『八月の光』『月は沈みぬ』『賢い血』『プアハウス・フェア』『ロング・マーチ』。いまでも大切にしているこれらの作品はすべておなじ人物によって、つまり本書のタイトルになった「S先生」こと須山静夫によって日本語に移されていたのである。

 須山静夫は一九二五年、静岡に生まれ、一九四四年に横浜工業専門学校(現横浜国立大学)造船科に進学、卒業後は農林省水産局漁船課に入省したものの、文学への想(おも)いは断ちがたく、二十五歳にして明治大学文学部の夜間三年に編入学し、一九五二年にはガリオア(占領地救済資金)留学生の試験に合格したため、明大を退学したうえでミシガン大学工学部造船科に留学している。

 英文学者の前史としては、じつに風変わりである。しかし船との関わりは、彼が選んだ文学の道のなかで大きな意味を持っていく。というのも、一九五三年に帰国して復学し、翌年書き上げた卒業論文の主題が、船乗りから転身した作家メルヴィルの『白鯨』をめぐるものだったからだ。学部卒業の後、留学中に知り合った女性と結婚して大学院に進み、農林省を辞して母校の助手となってから、息子が生まれ、教育者としても研究者としても万事順調にゆくかと思われた。だが、まさにそのとき、彼の日常は白鯨の吹き上げる息よりもつよい不幸の連鎖に見舞われる。

 著者がS先生に出会ったのは、一九八〇年代半ば、慶應大学英文科三年の時だった。非常勤として出講していた先生は、俳優の宮口精二似の古武士の雰囲気を漂わせた寡黙そうな人だったが、学生たちの誠実でない態度に触れたとたん、がらりと姿を変えた。徹底的な下調べと深い読解、そしてみごとな訳読。不明箇所をめぐっては、気骨のある学生と真剣な議論を重ねて飽きることがない。その優れた学生だった若き日の著者は先生の学問にかける姿勢と厳しさに魅了され、自身の指導教官と並ぶもうひとりの大切な師として接していくようになる。

 学生たちはふつう、教師がどのような思いでテキストを選択し、どのような人生を賭けてそれを読んでいるのかまで想像しない。著者は長年にわたる交流のなかでその仕事の背景を少しずつ知っていくのだが、真の理解は、二〇一一年に師を失ったあとに書き出された、一種の自分史でもあるこの追慕と哀惜の記録によって、はじめてなされたと言えるだろう。

 じつは、須山静夫は、一九六四年に最愛の妻を癌(がん)で亡くしていたのである。悲しみから立ち直ったつもりで再婚し、一女をもうけ、新しい家族に支えられながらも、彼は最初の妻への想いと悔悟の念を断ち切ることができなかった。なぜ他の人ではなく妻だったのか。『ヨブ記』の問いかけを反芻(はんすう)しつつ先を行こうとしたとき、今度は二十歳を過ぎた息子を事故で失う。なぜ自分が代わりに死ななかったのか。それを自問しつづけ、自らの文学研究と翻訳に投影していった。オコナーやフォークナーの翻訳に、他の訳者にはない声が感じられたのは、当然のことだったのだ。

 須山静夫はまた、小説家でもあった。右の問題を扱った長篇『墨染めに咲け』をめぐる章は、深い共感と絶望の先を見据えようとする明るい光に満ちた、あたたかい批評になっている。オマージュと呼ぶにふさわしいこの一書を通じて、S先生の読者がひとりでも増えることを期待したい。
    −−「今週の本棚:堀江敏幸・評 『S先生のこと』=尾崎俊介・著」、『毎日新聞』2013年05月12日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130512ddm015070043000c.html





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