“日本は世界でも有数の豊かな国”ということにかんして





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 日本は世界でも有数の豊かな国です。世界一の平均寿命を誇り、一人当たりの国民総所得(Gross National Income)は、三万三四七〇ドル(約二六八万円)。世界一九位の数字ですが、世界平均の一万五九七ドル(約八五万円)の三倍以上の値です(WHO,二〇一一年)。他方で東日本大震災は、明治の近代化以降、日本が抱えてきたさまざまな問題と結びついているという指摘もあります。日本全体としては、繁栄を誇りつつも、多数者の利益のために、必然的に存在する問題の影響や影の部分を、少数者や社会の一部の構成員に押し付けてきた社会でもあるということです。沖縄の米軍基地の問題、明治時代後期に発生した日本の公害の原点である足尾銅山鉱毒事件や、水俣病、そして原子力発電所の問題です。
 原発は被曝労働を必要としています。放射能にさらされながら業務を行う被曝下請け労働者、あるいは原発被爆者ともいわれるべき人々が事故の収束に向けた作業に携わっています。桁違いに高い放射線量にさらされながらの闘いですが、原子炉で働く人々が高い放射線量にさらされているのは、「事故後」の特別な事象ではありません。平時の、それも、定期点検や清掃作業の中で、原子力発電所で働く人たちは、高い放射線量にさらされてきたのです。
 人間の安全保障の視点からこの原発の問題を見直すと、エネルギー政策とは別に、そもそも一部の人の圧倒的な犠牲の上でなければ成り立たないシステムを私たちは容認し続けるのか、という視点が生まれます。海外、特に途上国に原発を輸出することは日本製の原発施設が他国の製品に比べ、いかに安全性に優れ、技術的に優位に立とうと、「人間の安全」が「保障」されない労働者を生み、あるいは、すでにある格差を利用して、さらにその格差を助長することにもつながりかねません。日本は東日本大震災の年、二〇一一年一〇月に原発輸出でベトナムとの間で合意、ほかにもトルコやインド、ヨルダンなどへの原発輸出が推進されようとしています。私たちは国内の原発問題のみならず、海外への原発輸出をどのように考えていくべきなのでしょうか。
    −−長有紀枝『入門 人間の安全保障 恐怖と欠乏からの自由を求めて』中公新書、2012年、242−244頁。

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水曜は千葉の短大で倫理学の授業でしたが、学生さんの一人一人が授業を楽しみにしてくれているのが、ほんとうに嬉しいので、往復6時間かけて90分1コマなのですが、まいどまいどこちらの方が教わることが多く、費用対効果を考えると「きつィ」ものもあるのですが、これもひとつの財産になっていると思い、通っております。

さて、今日は、倫理学の大切な観点の1つであり、出発点でもある「身近なものへ注目する」ことについて少々をお話をしてきました。

私たちは、普段生活のなかで、小文字の事柄と、大文字の事柄について別々の事柄として「たてわけ」て考えているフシがあるかと思います。

小文字の事柄とは、プライベート・ライフといってよい部分であり、大文字の事柄とはパブリック・ライフの部分です。

しかしこの両方の事柄は、相互に無関係であるのではなく、互いに密接に規定しあっているものでもあります。だからこそ、両方に無関心であることは問題であるし、片一方だけに過度に偏重するのには問題があります。

そういうことをお話してきました。

日常生活の中に全ての根があるとすれば、その展開を考えるうえでは、自分自身の事柄をまったく抽象して思索するのも問題がある。

そういうことですよね。

なんだか、そのあたりことのがスルーされて、撤退か意識の高さかのイエスかノーかを迫るひとびとが多くいますが、そうではない地平において、意識を働かせていきたいものです。







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