覚え書:「今週の本棚:若島正・評 『本読みの獣道』=田中眞澄・著」、『毎日新聞』2013年06月16日(日)付。




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今週の本棚:若島正・評 『本読みの獣道』=田中眞澄・著
毎日新聞 2013年06月16日 東京朝刊


 (みすず書房・2940円)

 ◇古本に生命を吹き込む“語り部”の魔力

 小津安二郎の研究家として知られた著者が、前著『ふるほん行脚』に続いて、雑誌『みすず』に連載していた古本探訪記を中心にまとめたのが本書『本読みの獣道(けものみち)』である。自称「古本主義者」の田中眞澄は、「書物の真価は新しきが故に尊しとせず」として、新刊書店を避け、あえて古本屋をたずねて巡り歩く。それはなにも、めったに入手できないような高額の稀覯(きこう)書を求めているわけではない。それとはまったく逆で、いかにも一徹の古本主義者らしく、店先に並んでいる百円均一本、あるいは著者の言葉を借りれば「雑本」、それこそがお目当てだ。「そこから随時随意に引き抜いた無限定の雑本にこそ、読書という行為の無償の本懐があると知らねばならない」。店の中に入っても、目についた本を何冊か選び出した後に、千円以上のものは棚に戻すのが田中眞澄の流儀である。

 こうして、どこの古本屋で、何をいくらで買ったかという情報と、短い内容紹介および読んでからの感慨(田中眞澄は、買った本をすべて読むという制約を自らに課している)を綴(つづ)ったのが、二〇〇三年から著者が亡くなる二〇一一年まで続いた連載「ふるほん行脚」のすべてである。そこで取り上げられる本は、ジャンルも限定されないし、新聞の書評欄で取り上げられるような話題書ではない、文字どおりの雑本で、おそらくどんな読者にとっても、そのうちの八割から九割くらいは聞いたことがないような本ばかりである。そんな雑本の話が、どうしてこんなにわたしを惹(ひ)きつけるのか。なにしろわたしは、あまりのおもしろさに、『ふるほん行脚』と『本読みの獣道』をどちらも二度通読してしまったほどなのだから。

 田中眞澄はひたすら歩く人である。それこそ全国津々浦々、知らない古本屋はないのではないかと思わせるほど、旅先でも古本を訪ね歩く。『ふるほん行脚』では、京都にあるわたしのなじみの古本屋で、そこのおばさんと立ち話をするくだりまで出てきて、唖然(あぜん)としてしまった。古本には自然と歴史が刻み込まれるように、こうして田中眞澄の古本探訪記は自然と現れては消える古本屋の浮き沈み、ひいては町の変遷を映し出す鏡となる。さらには、歩くこと、本を選び出すこと(これを「抜く」という)、そうした身体の運動が、田中眞澄が書く独特な文章の運動へとつながっている。これが本書の大きな魅力だ。「書くこともコトバの芸能と考える」田中眞澄は、こうして古本の語り部となる。

 こう言ってさしつかえなければ、田中眞澄が雑本を眺める目は、おそらく彼が人間を眺める目と同じである。本書に収められた、煙草(たばこ)をめぐるエッセイ「一切合切みな煙」で、「人はすべて死す。どっちみち。遅かれ早かれ。例外はない。……煙草を吸おうが吸うまいが、平等に人は死ぬ」と書かれている言葉を敷衍(ふえん)するなら、どんな本でも遅かれ早かれ、平等に古本になるのである。田中眞澄は楊逸の『時が滲(にじ)む朝』を百五円(消費税が付いているところにご注目。ここにも時代の移り変わりがある)で買って、こう漏らす。「三刷といえど、芥川賞とりたて作品が三カ月後にこの値付けとは」

 古くさい比喩で恐縮だが、バナナの叩(たた)き売りよろしく、店先に投げ出されている百円均一本は、いわば本の墓場にうっちゃられて死んだ本たちである。ところが、田中眞澄が「抜く」ことによって、死んだ本たちがよみがえって語り出すかに見える。抑圧され忘れられた人たちの物語が、歴史を超えて今ここに追体験されるかに見える。それが語り部としての田中眞澄の魔力であり、わたしはそこに魅惑されたのだ。

 「正直に人間の愚かさ、弱さを抱え込んでこそ、文学が成り立つ」と田中眞澄は書く。その文学観は、愚かさや弱さをさらけだした雑本たちを平気で自分の懐に招き入れる、彼の古本道となんとよく似通っていることだろうか。その意味で、本書は優れて「人間的」なのである。

 「ふるほん行脚」とは別に、本書のもう一つの柱は、「『戦後』という時代の子」である著者が、五〇年代に読んだアンデルセン童話や『若草物語』などの児童文学を古本で買って読み直し、その中に刻印されていた当時の「児童」のイメージに託されたものを発見する第一部であり、比較的年代の近いわたしには圧倒的に共感するところが多いのだが、「批評なき懐古を禁じ手とする」著者に倣って、安易なノスタルジアをここで綴ることはやめておきたい。

 それにしても、『本読みの獣道』とは、よくぞ言ったものだ。どんなガイドブックにも載っていない、道なき道を田中眞澄は一人で歩いて切り開いた。どこまでも在野のアマチュアたらんと自らを思い定めた、「あえて志に殉ずる」その軌跡をたどっているうちに、わたしたち読者には、田中眞澄が巨大な獣のように見えてくるのだ。
    −−「今週の本棚:若島正・評 『本読みの獣道』=田中眞澄・著」、『毎日新聞』2013年06月16日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130616ddm015070008000c.html




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