覚え書:「今週の本棚:松原隆一郎・評 『プライドの社会学』=奥井智之・著」、『毎日新聞』2013年06月23日(日)付。




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今週の本棚:松原隆一郎・評 『プライドの社会学』=奥井智之・著
毎日新聞 2013年06月23日 東京朝刊

 (筑摩選書・1680円)

 ◇根拠を求めて彷徨う心の実像に迫る

 年末からの株価急騰に多くの日本人が浮かれるのを見て、違和感を持つ人もいるのではないか。それほどまで我々のプライドは、不況で傷ついていたのか、と。

 実際、この間の日本の完全失業率は4%台半ばで、英米の8%台やドイツの6%近くと比較しても決して高率とは言えない。それでも私たちが失職に怯(おび)えるのには、戦後日本で国家や地域が誇りとしにくくなり、経済やその成長率にのみプライドを賭けてきたことがある。

 本書は、このように厄介な代物である「プライド」を、「社会学」の視点から分析する。けれどもその体裁は、いささか謎めいている。最近の社会学の論文なら、現実にかんする数量データや具体的事例を挙げ、そこから考察を始めるだろう。プライドにかんし、小さくとも明確な像を切り出す作業である。

 これに対して本書では、全十章に「自己」「家族」「地域」「階級」「容姿」「学歴」「教養」「宗教」「職業」「国家」のテーマが配されそれぞれに6つの小見出しが挿入されている(「はじめに」「おわりに」は各3つ)。つまり計60(ないし66)のエッセイが並ぶ。そしてそこに、社会学・心理学の古典やオースティン『プライドと偏見』に始まり、『源氏物語』『万葉集』から志賀直哉『暗夜行路』、近年の芥川賞作品からフォースター『眺めのいい部屋』までの現代小説、そして黒澤明「生きる」からワイダ「カティンの森」までの映画など、膨大な素材が縦横無尽にちりばめられるのだ。

 著者はこの体裁を、アドルノの『ミニマ・モラリア』にならった「アフォリズム的記述」と呼んでいる。どこから読み始めても、どこで読み終えてもよい。しかし私には、圧倒的な読書量とあらゆる書物を噛(か)み砕く膂力(りょりょく)で書き上げたエッセイの集積に映った。曖昧でも大きく、「プライド」の実像に迫ろうとするのだ。

 著者は述べる。

 わたしたちは皆、プライドに取り憑(つ)かれて生きている。

 私たちはみな、「理想の自己」を思い描いて「現実の自己」を作り変える。ときに自己を破壊するほどで、成功すれば眩(まばゆ)いばかりのプライドを持つことができる。しかしある人が自己を誇りすぎると、えてして他の人は鼻白んでしまう。高慢が鼻につくからで、それは戦争にもつながりかねない。ホッブスの『リヴァイアサン』は、そこで調停のために「国家」の創出が不可欠と説く。

 だが国家は、国内戦争を回避するにせよ、一方では国家間戦争を引き起こす原因となりうる。そのとき「国家は戦争に際して兵士からその生命を要求」(清水幾太郎)する。国民の生命を守るはずだった国家が、国民に生命を差し出せと脅すのだ。

 ここで著者は、奈良にかつて存在した宿「日吉館」の名物女将の古希祝い文集という貴重書を持ち出す。古寺巡礼が召集学生に流行(はや)った件を回想する青山茂は、「せめていまのうちに自らの国の確かな遺産をたしかめて置きたいというせっぱ詰まった気持ちに、当時の若者たちは駆りたてられていた」と書く。お国のために死なねばならぬのだから、お国が何なのか理解したかったのだろう。

 ここから、我々が「−のために」といって実感できる「−」は、集団でいえば家族からせいぜい地域までだということが分かる。仏サッカー選手ジダンの頭突き事件は有名だが、あれは母親ないし姉妹を侮辱されての仕返しだったらしい。しかし今や核家族すら減少して、単身者が増えている。故郷の美しい里山も失われつつある。プライドは、根拠を求めて彷徨(さまよ)っている。

 それゆえ「階級」や「容姿」、「学歴」や「宗教」がプライドの根拠とされるだろうことは、容易に想像がつく。けれどもそれらはしばしば対立をもたらし、社会を不安定化させる。マルクスは階級対立に注目したし、「傾国」は美女を指す。東大法学部による官僚制支配の弊害はかねて指摘され、宗教がテロを引き起こす可能性を秘めることは9・11オウム真理教の事件でも明らかだ。

 だからこそ、日本人は「職業」に賭けたのだと見ることもできる。職業を「カネのため」ではなく、「職業のため」とするのだ。著者は言う。

 職人は、(1)自分自身に、(2)自分の技能に、(3)自分の作品にプライドをもつのである。

とすれば失業がプライドの喪失や精神疾患すらもたらすのも、もっともではある。失業とは、労働者が職人的な技能やその成果を社会から否定された状態なのだから。

 陰鬱な紹介になってしまった。けれども救いになるくだりも報告しておこう。著者は母校である奈良の高校(仏教校)の仏殿で、東日本大震災で被災した福島県南相馬市の中高生による合唱の奉納を聞いた。それは僧侶の読経よりも美しく、奇跡としかいいようのないものだったという。宗教とも異なり、ささくれだった心を溶かす瞬間が存在しうるということであろう。
    −−「今週の本棚:松原隆一郎・評 『プライドの社会学』=奥井智之・著」、『毎日新聞』2013年06月23日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130623ddm015070032000c.html


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