覚え書:「もうひとつのこの世 石牟礼道子の宇宙 渡辺京二著」、『東京新聞』2013年07月07日(日)付。
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もうひとつのこの世 石牟礼道子の宇宙 渡辺京二著
2013年7月7日
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◆情念が支える知の全体性
[評者]三砂ちづる=津田塾大教授
ほかでもない。渡辺京二による石牟礼道子論である。のちに『苦海浄土』として世に出る「ゆき女聞き書」や「天の魚」を誰よりも先に原稿の形で読み、四十年以上にわたって一貫して編集者として石牟礼を支え続ける。
むろん渡辺京二は「編集者」だけであるはずもない。名著『逝きし世の面影』のタイトルは、石牟礼がつけたという。長きにわたる関わりから生まれる豊饒(ほうじょう)を私たちは幾重にも受け取ることができ、この本はその一例である。
冒頭、講談社文庫版『苦海浄土』の本文と同じくらい有名な、渡辺による解説の一文から本書は始まる。この本を手にした喜びを早々に確信させるこの名文で始まり、石牟礼作品の頂点、『天湖』の書き下ろし評論で終わる。
石牟礼文学の特質の一つは、人間の生を、この世の世俗的な生活の彼方(かなた)にあってその始原をなす、隠れた「もうひとつのこの世」から呼び返されるものと捉えていることである。二つめは、現在と過去がまじりあい同時進行する物語構造になっていること。ジョイスやフォークナーが開拓し、ラテンアメリカのマルケスやリョサらが継承した十九世紀文学を土台とする二十世紀前衛文学の手法が、意図せずしてあらわれているという。
反近代の権化のように言われる石牟礼文学はかように近代的なものであり、そして「近代の初発には、いま現にある近代とは異なる『情念に支えられた知性の全体性と能動性』があったのではないか」という岩岡中正の指摘を重要な論点とする。ポストモダンどころではない。石牟礼道子という希有(けう)な作家は「男の思想と訣別(けつべつ)して女の言葉で語る」とか、「環境問題の告発」とか、そういうことばに回収されようもない全体性の上に立っている。
この本の底に流れる、若き石牟礼研究者こそ出でよ、という静かな呼びかけに、誰が応えるのか。完結したばかりの「石牟礼道子全集」が、丹念にひもとかれていかねばなるまい。
わたなべ・きょうじ 1930年生まれ。日本近代史家。著書『黒船前夜』など。
(弦書房・2310円)
◆もう1冊
『石牟礼道子−魂の言葉、いのちの海』(河出書房新社)。石牟礼の対話や渡辺京二、池澤夏樹、町田康らのエッセーを収めたムック。
−−「もうひとつのこの世 石牟礼道子の宇宙 渡辺京二著」、『東京新聞』2013年07月07日(日)付。
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013070702000184.html