覚え書:「今週の本棚:鹿島茂・評 『メディアとしての紙の文化史』=ローター・ミュラー著」、『毎日新聞』2013年07月14日(日)付。




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今週の本棚:鹿島茂・評 『メディアとしての紙の文化史』=ローター・ミュラー
毎日新聞 2013年07月14日 東京朝刊

 (東洋書林・4725円)

 ◇魔術的な「文明のインフラ」の過去と未来

 人類最大の発明が文字だとすると、印刷術の発明がそれに次ぐ。しかし、紙の発明と改良がなかったら、世界は現在のような姿でありえただろうか。書物や新聞もなければ、紙幣も有価証券もありえない。紙は文明のインフラなのである。だが、いままさにその紙が電子媒体によって代替されようとしている。本書は、決定的な過渡期を迎えたこの紙という《魔術的媒体》の文化史的再考の試みである。

 紙の歴史は西暦一〇五年頃の中国に溯(さかのぼ)る。後漢の役所で書写材として紙の採用を伝えた記録が残っているからだ。カジノキの樹皮を原材料とする中国紙はシルクロードを経由してサマルカンドに至り、アラブ世界に伝わったが、そこではカジノキがなかったために、原料はぼろ布、古着、索具(ロープ)などによって代用される。この原料の転換がまず大きな影響を与え、製紙業はぼろ布を求めて都市の周辺に成立する。

 十三世紀に北アフリカ、スペイン経由でイタリアに伝播(でんぱ)すると、紙に大きな転換が訪れる。「まず紙料(しりょう)調製の段階では、あらかじめ腐敗させておいたぼろ布を叩(たた)いてすりつぶし、繊維にまでほぐす作業(叩解(こうかい))が機械化された。水力で水車を回し、その回転運動をカムシャフトがハンマーの垂直的な上下動に変換する機構をそなえた叩解機(スタンパー)の導入である」

 叩解機の導入はイタリアの織物業と金属加工業で使われていた水車技術とハンマー装置の転用だった。また、次の紙葉(しよう)形成の工程でも、金属加工業の針金製造技術を応用して漉簀(すきす)に竹や葦(あし)に替えて針金を用いたことが漉き作業の効率を上げた。さらに、仕上げの表面加工の工程においても植物原料の糊(のり)の替わりに膠汁(にかわじる)を使ったことが滲(にじ)み防止効果をもたらした。こうした工程の変化が、製紙所の立地を制限することになる。紙料の調製においても水車を回すにも製紙業は川のほとりの水利に富む都市が選ばれるようになったのだ。「漉槽(すきそう)を一つ備えた製紙所は、一労働日あたり三千枚もの紙を生産することができた。一年で見ればほぼ百万枚であり、これは十五世紀のローカル市場では、需要をはるかに超える供給量であった」。その結果、ヨーロッパで生産された紙が伝来経路を逆にたどってアラブ圏に輸出され、アラブ圏の製紙業を衰退させてゆく。

 ヨーロッパで製紙業が発達した背景としては羊皮紙の供給が限られていたことがある。「中世後期の写本は、行間をつめ、文字を小さくし、字間を狭くとって、一ページあたりにできるだけ多くの文字を詰め込むようになった」。紙の登場はこうした羊皮紙の制約を取り払った。「紙は修道院、市庁舎の書記室、そして大学で使われた。そうやって紙は文字文化の発展をうながし、知識の蓄積と一般化に貢献し、印刷機登場の土壌を準備するという、非常に重要な使命を果たした」

 しかし、初期の製紙業の大手需要を支えていたのはこの手の知的用途ではなかった。十五世紀に流行したトランプ遊びが紙の需給関係を大きく変化させたのである。トランプ遊びは木版画の技術と結びついて「絵」の大量複製を生み出し、製紙業を支えたのである。そして、一四五〇年、ついにグーテンベルク活版印刷機を発明し、製紙業と結びついて文字文化は決定的な段階を迎えることになる。だが、それから四〇〇年の間、増え続ける需要にもかかわらずヨーロッパの製紙業は大きな限界を抱え続けることになる。木から紙をつくる方法を知らなかったため、人口増でぼろの供給量が増えない限り、生産には限度があったのだ。

 バルザックの『幻滅』には、印刷工場を経営する青年ダヴィッド・セシャールが苦心の末に画期的な製紙法を発明したにもかかわらず、アイディアを強欲なライバルに横取りされる様子が詳しく描かれているが、やがて製紙業界はジラルダンの新聞革命に刺激されてパルプから紙を作り出す方法を考えだし、大量発行される新聞や雑誌を支えることになるのである。

 さて、以上がハードウェアとしての紙の文化史の大筋だが、本書の本当の魅力は、こうした形而下(けいじか)的要素にからめながら、紙を巡る形而上学的な諸問題がさまざまに論じられている点にある。すなわち、マクルーハンのメディア理論から照射するラブレーと印刷術の関係、《印刷されない》自筆原稿と《印刷された》書物とを巡って展開されるドン・キホーテ論、ロビンソン・クルーソー論、書簡体小説論。大量の紙と活字を消費する大衆新聞の登場により大きく変化するメディアの本質。および、印刷物の氾濫(はんらん)によって逆に刺激されることになる自筆原稿管理の問題などであるが、それらは案外、いま取り沙汰(ざた)されている《アナログなもの》と《デジタルなもの》との共時的な緊張関係を考察するための大きなヒントとなるかもしれないのである。「新しい媒体(メディア)は古い媒体(メディア)を模倣する。(中略)これから当分のあいだ、我々は依然として紙の時代に生き続けるのである」

 原文は英米独仏西の古典が引用された博引旁証(ぼうしょう)の文章だが、翻訳は至って読みやすい。(三谷武司訳)
    −−「今週の本棚:鹿島茂・評 『メディアとしての紙の文化史』=ローター・ミュラー著」、『毎日新聞』2013年07月14日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130714ddm015070029000c.html




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ローター ミュラー
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