ネット選挙解禁雑感:選挙にふさわしい投票スタイル等々……




ネット選挙解禁って、誰もが自身の正義を相互確認するというのではなくして、とにかくそれを押しつけ合い合戦の平行線を追及する騒音にしか聞こえない。

(伝統的な哲学の価値論の概念にすら取り込まれない下位概念としての)うさんくさい「正義」なるものを一方的に語り、それをお互いに譲らずぶつけ合うことなど必要ない。

自分自身の信じている信念や政策を普遍的真理と思いこんで、他者に押しつけることではなくして、私はこう考えるというものをすりあわせていくなかで、より考え方を洗練させると同時に、間違っていたので有れば、相互に訂正しながら、投票活動などに結びつけていくそのことが必要なのだろうと思う。

そういう「合意形成」を無視して、とにかく「勝てばよい」とやるから、選挙が終わると「万歳!!!」という怒声と、負けたら負けたで、またぞろ「陰謀論ガー」が大挙するのだろうなあ(棒読み

まあ、ドブ板も、相手を否定するための広報合戦というヤツも、最初の普通選挙から変わらぬ光景であって、それがネットという新しいメディアでも繰り返されているというのが21世紀の「ネット選挙」の実相なのだろうと思う。

勝俣誠『新・現代アフリカ入門』岩波新書では、あちらの選挙は、結局、うちらの親分と親分の対決という感覚なんだと紹介されていた。まあサッカーの熱狂的ファンの喧嘩と同じで、負ければ負けたで納得いかねーって大乱闘を繰り広げるつう話みたいだけど、日本もそんなにかわらねえわ。

シニシズムというわけじゃないけど、出来合いの大声の連呼が、本来耳を傾けるべき声をスルーしていくという話なんでしょうなあ。




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地方議会選挙の洗礼
 結党時の五ヵ条の「政綱」から「七大政策」に至る途中、一九二七(昭和二)年九月から翌年にかけて、地方議会選挙が実施されていた。衆議院選挙に先立つ普選制度による最初の選挙である。この地方議会選挙において、有権者民政党にどのような判断を下したのか。
 九月から一〇月の二府三七県の議員選挙の結果は、政友会八一八名に対して民政党五七二名(前回比四三名増)だった。翌年の一道一府三県の議員選挙は政友会一二九名に対して民政党一一六名とその差は縮まっている。政友会の田中内閣の与党選挙による不利な条件を考慮すれば、民政党は善戦したと評価できる。選挙全体に対する民政党の自己評価も「比較的好成績」だった。民政党はとくに都市部で勝つことができた。
 それでも敗けたのは与党=政友会の選挙干渉のせいだと民政党は非難した。そうだとしても、敗けは敗けだった。地方議会選挙の結果は、衆議院選挙の暗い予兆となった。
 民政党にとって意外だったのは、棄権率の高さである。期待していた新たな有権者=無産者の危険が多かった。民政党衆議院議員小泉又次郎は党機関誌で危険の例を挙げる。たとえば投票所の数が少なく、順番を待ちきれずに棄権する。あるいは日曜日ではなく週日が投票日のため、下層労働者は一日の生活に追われて投票所へ足を運べない。制限選挙の時は、羽織袴で投票するのが当たり前だった。それゆえ仕事着や平服で投票するのを躊躇する人がいた。普通選挙には普通選挙にふさわしい投票スタイルが必要だった。
    −−井上寿一『政友会と民政党 戦前の二大政党制に何を学ぶか』中公新書、2012年、49−50頁。

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