覚え書:「今週の本棚:若島正・評 『粋人粋筆探訪』=坂崎重盛・著」、『毎日新聞』2013年07月28日(日)付。



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今週の本棚:若島正・評 『粋人粋筆探訪』=坂崎重盛・著
毎日新聞 2013年07月28日 東京朝刊


 (芸術新聞社・2520円)

 ◇忘れさられた“遊び心の時代”を逍遥する

 古本屋巡りをするおもしろさの一つは、気の向くままに雑本を買っていると、いつしかそれが何かのテーマを形作っていくことにある。本書『粋人粋筆探訪』は、子供の頃から蒐集(しゅうしゅう)癖があったという著者が、古本蒐集をしているうちに浮かび上がってきたテーマの一つとして、戦後に花開いた、「いかにも遊び心に満ちた、人生そのものを楽しんでいるようなオトナ」たち、石黒敬七徳川夢声サトウ・ハチロー池田弥三郎などなどといった、いわゆる「粋人」という不思議な存在が物(もの)した、軟派系随筆である「粋筆」(それはしばしば「酔筆」であったりする)を集めて紹介したものである。それは何も、学術的な研究書を目指したものではない。清水崑杉浦幸雄横山隆一といった漫画家たちの粋筆を並べていたかと思えば、性風俗雑誌『あまとりあ』のバックナンバーを拾い読みしたりと、著者の坂崎重盛は興味の赴くままに戦後の昭和二十年代を逍遥(しょうよう)する。それはあの懐かしい、「カーバイドの光に照らし出された夜店、露店」の世界を思い出させる。わたしたち読者は、著者の案内に従って、ゆっくりとこの夜店の世界を一周し、気に入った店があればそこにしばらく立ち止まって、一時のタイムスリップに興じればいい。もともと、古本屋巡りの楽しみは、そういう勝手気ままなものではないか。

 それにしても、本書を読んでいて思うのは、ここで再現されているのが、わたしのような著者より十歳年下の人間にも強いノスタルジアを喚起させる、失われた時代であり、失われた文化であるという事実だ。「粋筆」の中身は、お色気、ユーモア、エスプリ、蘊蓄(うんちく)といった、著者も認めるとおり、「今日、ほとんど忘れられた世界」である。「もう『お色気』という言葉自体が今日ほとんど死語でしょう」と指摘されて、わたしは虚を突かれたような思いがした。「お色気」という言葉を聞いて、ただちに「若い娘はウッフン、お色気ありそでウッフン、なさそでウッフン」と口ずさんでしまうわたしなどは、「お色気」が日常的な世界にぼんやりと存在していた、おそらく最後の世代なのだろう。ありそでなさそな世界は、いつのまにか、あるかないかどちらかの、陰のないぎらぎらとした世界に変わってしまった。言葉が死語になったということは、その言葉が指し示しているものがもう今では存在しなくなったということだ。そういう事実を教えられて、わたしは愕然(がくぜん)とする。「お色気」の代わりにわたしたちが手に入れたのはおそらく「セクハラ」であり、「ユーモア」や「エスプリ」に取って代わったのは「おやじギャグ」である。それは世の中が進歩したということなのかどうか、わたしにはわからない。

 ここで紹介されている「粋筆」を、わたしもこの機会にまとめて何冊か再読してみたが、玉石混淆(こんこう)の感があり、特に艶笑譚(たん)のたぐいに属するものに対しては古さをおぼえずにはいられない。それは、文化的背景の移り変わりとともに、読み手の感覚も知らないうちに変わってしまったということもあるのだろう。しかし、「玉」の中には、裃(かみしも)を脱いでくつろいだ人間が醸し出す遊び心にあふれたものがたしかにある。それはお色気でもユーモアでもエスプリでもいいが、そういう懐の広い文人たちが文化の一部分を担い、大衆がその「粋筆」を読んでささやかな息抜きをしたという時代がかつて存在したのだ。時代錯誤と言われることを承知の上で、わたしもその時代をうらやましく思う。本書『粋人粋筆探訪』があらためて痛切に実感させてくれたのは、昭和は遠くなりにけりという感慨である。
    −−「今週の本棚:若島正・評 『粋人粋筆探訪』=坂崎重盛・著」、『毎日新聞』2013年07月28日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130728ddm015070028000c.html





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