覚え書:「今週の本棚:渡辺保・評 『狂言兄弟−千作・千之丞の八十七年』=茂山千作、千之丞・著/宮辻政夫・編」、『毎日新聞』2013年08月04日(日)付。

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今週の本棚:渡辺保・評 『狂言兄弟−千作・千之丞の八十七年』=茂山千作、千之丞・著/宮辻政夫・編
毎日新聞 2013年08月04日 東京朝刊

 (毎日新聞社・2310円)

 ◇厳しくもユーモラスな狂言師一家の肖像

 舞台へ出ただけで周囲におかしさ、ゆたかさが漂う狂言師は、私が見た限り先に善竹弥五郎、あとに茂山千作だけであった。独特な角張った大きな顔、それでいて柔軟な恰幅(かっぷく)。この人が出てくると舞台の空気が一変するから不思議であった。することがまたうまくておかしい。なにしろ舞台の共演者が笑いを必死で堪(こら)えるほどだから、むろん客席は抱腹絶倒である。

 この千作に対して弟千之丞は、対照的であった。この人はごく普通の風采、というよりもむしろ理性的な表情の人であって、出て来ただけではどうということもない。それが舞台でなにかはじめると実にとぼけた味わいを見せる。

 その名人二人の兄弟も二〇一〇年に千之丞が、この本の出版直後の今年五月には千作が亡くなった。今はこの本が二人の舞台を偲(しの)ぶよすがになった。

 編者の宮辻政夫は上方芸能に詳しく、五年間にわたって二人にインタヴューを続けこの本を完成した。もっともこれは単なるインタヴューではない。二人の生きた時代背景、能狂言の世界、京都の町並みを緻密に再現している。そこにはほとんど大正、昭和、平成三代の日本の歴史があり、兄弟を教えた祖父二代目千作、父三代目、そして兄弟の子供、孫たちの前後五代の京都の狂言師の大家族の肖像が浮かび上がっている。芸に厳しく、しかし日常はユーモラスな、この不思議なファミリーの姿はさながら大河ドラマの如(ごと)く、核家族以前の日本の家族の歴史の一頁(ページ)を語っている。

 あの千作の独特な雰囲気は、こういう一風変わった家族から生まれたことがよくわかる。

 しかし兄弟は笑ってばかりいられなかった。千作は海軍に召集され、第二次世界大戦セイロン沖海戦九死に一生を得、千之丞は見習士官で米軍の空爆を受け、戦後は食うために闇屋をやった。外側の社会に大きな変化が起きたのである。しかし一般社会ばかりでなく狂言の世界も大変化した。

 それまで狂言は能の従属的立場に立っていた。私の少年の頃は能が終わって狂言が始まると観客の大半は席を立ってロビーに出てしまった。能しか見ない。まして今日のような狂言だけの催しは想像も出来なかった。それが成立するようになったのは、西にこの茂山兄弟の努力があり、東に野村万蔵一家の働きがあったからである。狂言独立。これは狂言何百年の歴史のなかでも画期的な出来事である。

 茂山兄弟は学校回りもやった。戦後の荒れ果てた学校を回って狂言を演じた。そのなかには感動的なエピソードがある。瀬戸内海の島の学校で狂言を演じ、峠を自転車でこえて島の反対側の学校で狂言を演じて、もう一度もとの港に戻った。そうしたらば船着き場に最初の学校の生徒全員が見送りに来ていた。船が出る。生徒たちは海岸沿いの細い道を「さよならあー」と手を振りながら追って来た。涙が出たという。

 こういう努力があってはじめて狂言独立が成立した。今では狂言が始まっても席を立つ観客は少ない。

 これこそ演劇史上の大きな転換であり、その転換がなぜ起こったかの内情を描いた点でこの本は画期的である。

 千作の芸談も貴重。「狂言は型をきっちりせんと、役の人物にはなれませんな。基本の型をしっかり身に付けたうえで、ここは型を大きくしようとか、台詞(せりふ)回しとか工夫する」

 至言。千作が出て来ただけでおかしい姿からリアルな人間像がほとばしる瞬間はここにある。狂言とはなにか、演劇とはなにか、そして人間とはなにかを語る本でもある。
    −−「今週の本棚:渡辺保・評 『狂言兄弟−千作・千之丞の八十七年』=茂山千作、千之丞・著/宮辻政夫・編」、『毎日新聞』2013年08月04日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130804ddm015070020000c.html


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