覚え書:「今週の本棚:鴻巣友季子・評 『ミラーさんとピンチョンさん』=レオポルト・マウラー著」、『毎日新聞』2013年08月04日(日)付。



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今週の本棚:鴻巣友季子・評 『ミラーさんとピンチョンさん』=レオポルト・マウラー著
毎日新聞 2013年08月04日 東京朝刊

 (水声社・1575円)

 ◇不思議なテイストの旅するコミック

 その本が日本語で読めたことの幸運に心の中で手を合わせて感謝したくなる翻訳書が、ときどきある。とぼけたタッチの絵が魅力のグラフィック・ノベル『ミラーさんとピンチョンさん』もそういう一冊だ。

 ふたりの中年男がアメリカを横断し珍道中を繰り広げる本書。全二十章のスケッチはどれもオチがあるようなないような、可笑(おか)しいような悲しいような、不思議なテイストを持つ。一人は若いころ司祭を目指したものの大の女好きが祟(たた)って挫折、深い絶望を経て、今も敬虔(けいけん)なカトリック教徒の(実は)オオカミ男。一人は十年前に最愛の妻を数奇きわまる“チーズ事故”で亡くし、今も妻の幻を見る心優しき無神論者。ふたりのお伴(とも)をするのは、ゲスイドウワニの国の後継者だが父に逆らって家出してきた若いワニ。

 原題はMiller & Pynchonだが、邦題では「さん」をつけたところに、訳者の好センスが感じられる。「弥次さん喜多さん」的な親しみやすさとノリが加わった。なにしろ、「ミラーとピンチョン」だけでは厳(いか)めしすぎるだろう。現代アメリカ文学の文豪ヘンリー・ミラートマス・ピンチョンを即座に思わせるのだから。

 このキュートなロード・コミックには何重ものひねりがある。舞台立ては二十世紀のどこかにも見えるのだが、ミラーさんは土木技師にして測量士、ピンチョンさんは天文学者で、彼らは総領事の命で「南北を分かつ境界線」を引くため測量をしている−−となれば、思いだすのは、ピンチョンの小説『メイスン&ディクスン』。メイスンとディクスンが南北線を決めるため測量道中膝栗毛(ひざくりげ)を展開する史実にもとづいた大長編だ。しかも、どちらの作品にも、一七六三年から六七年に行われた太陽面金星通過の観測が出てくる。ということは、『ミラーさんとピンチョンさん』も十八世紀が舞台?? メイスンとディクスンは観測のため喜望峰で出会いアメリカに戻るが、ミラーさんとピンチョンさんは逆ルートを辿(たど)り、アメリカから船で南アフリカへ。楽しい仕掛けが満載だ。

 さらにちょっと意外なのは、作者がオーストリアのアーティストだということ。だから、原文はドイツ語なのだ。若いワニの名前はホフマン、ふたりのボディーガードになる二人組はトーマスとベルンハルトと、ドイツ語作家の名前も何食わぬ顔で登場。ちなみに伝令の名はT・C・ボイルで、これは米作家T・コラゲッサン・ボイルに因(ちな)むものだろう。また意表をつかれたのは、本書の翻訳紹介者が気鋭のアメリカ文学者で『ピンチョンの動物園』の著者・波戸岡景太であること。ピンチョン文学におけるドイツ文化の受容(というフィールドがあるのも知らなかったが)を研究するためドイツに留学しているという。原作と作者と翻訳者の幸せな出会いだ。

 本書はなにかが「ついえる」ことの物語であるとも言える。未来の夢や大志や希望、愛や絆がさまざまに挫(くじ)ける。挫けた愛は時にゾンビになり、月夜に哭(な)く孤独な男の声はオオカミの声とデュエットを奏でる。「もっと夢がみたい もっと もっと もっと……」。中でも哀切なのは、ミラーさんと息子の遺伝的食い違いを描く挿話だろう。息子が父に「語り合うことができな」くても「いっしょにやれることがないわけじゃない」と言う場面は、台詞(せりふ)の切実さと絵のゆるさがあいまって胸に迫る。

 ボケとマジ、オフビートとストレートのあわいを縫って、ミラーさんとピンチョンさんは旅を続ける。読後の情感、これはなんだろう。たしか、「いとしい」ってこういうことではなかったろうか?(波戸岡景太訳)
    −−「今週の本棚:鴻巣友季子・評 『ミラーさんとピンチョンさん』=レオポルト・マウラー著」、『毎日新聞』2013年08月04日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130804ddm015070002000c.html


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