覚え書:「今週の本棚・この3冊:小林秀雄=石原千秋・選」、『毎日新聞』2013年09月08日(日)付。

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今週の本棚・この3冊:小林秀雄石原千秋・選
毎日新聞 2013年09月08日 東京朝刊

 <1>無常という事(『モオツァルト・無常という事』新潮文庫所収/546円)

 <2>常識について(角川文庫/品切れ)

 <3>考えるヒント(文春文庫/590円)

 没後三〇年記念だったのだろう、今年のセンター入試に小林秀雄が出題され、国語の平均点が下がって話題になった。予備校関係者によると、問題文を見て受験生が泣きだしてしまった会場が複数確認されているという。問題文を見て、これはひどいと思った。はじめの一字「鐔(つば)」にいきなり注がついているのだ。つまり、問題作成者は受験生がテーマとなっている「鐔」について知らないと認識していながら出題したことになる。これは非常識だ。小林秀雄がというよりも、問題文の選定がまちがっていた。

 そういう私は、高校生時代から小林秀雄の大ファンである。『本居宣長(もとおりのりなが)』が刊行されたときには、どうしても手に入れたくて、大きな書店を何軒も探し回ったものだ。今回は大物よりも、伝説の名文が収められている、私の愛読した文庫を挙げておこう。現在は、全集を出している新潮社の文庫に比較的多くの作品がある。

 『無常という事』は、何と言っても「美しい『花』がある、『花』の美しさという様なものはない」という名文(かな?)で多くの読者を悩ませた、能の「当麻(たえま)」について書いた随筆「当麻」だろう。これは、「美しい花」という存在はあるが、「美しさ」は人間が勝手に作り出した観念にすぎないから信ずるに値せず、と言っているのだろう。こういう姿勢は、「マルクス主義文学」など「様々なる意匠」にすぎないと論じた初期の評論以来一貫している。

 『常識について』は、やや軽めの随筆集。「読書について」には「人間から出て来て文章となったものを、再び元の人間に返すこと、読書の技術というものも、そこ以外にはない」という文章がある。これが、昭和と呼ばれた時代の近代文学研究を規定した。国語教科書の「学習」にも「作者の意図について考えてみよう」などという課題が必ず一つはあったものだ。平成以降の文学研究は、いわば小林秀雄的読書観と格闘することから始まった。

 『考えるヒント』で、深い感銘を受けたのは「人形」という一篇。長距離列車で、人形を抱いて一緒に食事をする老夫婦と乗り合わせた時のこと。小林秀雄は人形は亡くなった子だと察して、無言でバターを皿に載せてやるのだ。そこへ若い女性が乗ってきたが、「一と目で事を悟り」、彼女も自然に振る舞う。こういう悲しみとこういう優しさがあるのだと、人間を愛(いと)おしく思ったのをいまでも覚えている。
    −−「今週の本棚・この3冊:小林秀雄石原千秋・選」、『毎日新聞』2013年09月08日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130908ddm015070013000c.html




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