覚え書:「今週の本棚:若島正・評 『カッパ・ブックスの時代』=新海均・著」、『毎日新聞』2013年09月08日(日)付。



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今週の本棚:若島正・評 『カッパ・ブックスの時代』=新海均・著
毎日新聞 2013年09月08日 東京朝刊


 (河出ブックス・1575円)

 ◇ベストセラーに刻まれた「DNA」

 わたしが中学生になった一九六〇年代の中頃は、カッパがラッパを吹いているマークで知られる、光文社のカッパ・ブックスが書店をそれこそ席巻していた。当時わたしの行きつけだった本屋では、推理小説を中心としたカッパ・ノベルスが、ある書棚の大半を占め、その裏側には岩田一男の大ベストセラー『英語に強くなる本』をはじめとするカッパ・ブックスがぎっしり詰まっていた。ようやく書物に目覚めたわたしがいつも最初に手に取るのはカッパの本で、まずカッパの松本清張を全冊読んだ。その後も、六〇年代後半のカッパ・ブックス全盛期にいたるまで、どれだけカッパの本を読んだだろうか。郡司利男『国語笑字典』、多湖輝『頭の体操』、佐賀潜『刑法入門』と、思いつくままに挙げていくときりがない。それは教養主義とはまったく無縁で、本屋のいちばん目につく場所に置かれている本を読んだまでのことだ。わたしが言いたいのは、中学生にもそれほどの影響力を持っていたくらい、当時はカッパ・ブックスの時代だったという事実である。

 本書『カッパ・ブックスの時代』は、光文社に入社したときにカッパ・ブックス編集部に配属され、途中では他の部署に移りながらもふたたびカッパに戻り、二〇〇五年の終刊でいわばカッパの最期を看取(みと)った著者による、カッパに携わった編集者たちのベストセラーを生み出そうと苦闘する姿を活写したドキュメンタリーである。とりわけ印象的なのは、カッパ生みの親である、「戦後最大の出版プロデューサー」と称された神吉晴夫で、「本でも雑誌でも、いや人間でも、実用性、物語性、扇動性の三つをそなえていないと、売りものにならない」、「カッパの本は、冷たいロゴスを底にひめた温かいパトス、つまり、知性をふまえた感性、感覚、感情にうったえる」ものであるべきだという信念を持ち、岩波新書教養主義に対抗して、著者と編集者と読者が同じ平面に並ぶような本作りを目指した。その結果として陸続と生み出されたカッパのベストセラー本は、戦後民主主義の一つの結実だと言ってもけっして大袈裟(げさ)な評価ではない。

 カッパが高度経済成長期という時代の産物であるとするなら、それが時代の変遷とともに移り変わるのもやむをえないことだろう。本書の後半は、一九七〇年に始まる光文社の労働争議から、経営破綻による二〇一〇年のリストラ騒動にいたる、一出版社のあまりにも生臭い衰亡史が綴(つづ)られている。ここが編集者物語だけでは終わらない本書のもう一つの読みどころだ。一冊の新書には、単にそれを書いた著者がいるだけではなく、編集者の努力と、さらにはその背後にある出版社の浮沈の激しい経営状態が隠されている。本書を読んでいると、そういう当たり前ではあってもふだん意識することのない事実に、わたしたち読者は初めて気づかされるのである。

 著者の新海均が繰り返し使っているのは、「カッパのDNA」という言葉だ。創刊者の神吉晴夫を生みの親として、その血を引き継いだ編集者たちは、光文社の運命とともに別の天地を求め、新出版社を設立してそこで新しい新書のシリーズを作り、ベストセラーを生み出す者もいた。そうして別の形でカッパの魂が生き続けていくところに、今後の出版文化がどのようにして支えられていくのか、一つの答えを見たような気がする。思えば、こうして感慨にふけっている、一人の読者にすぎないわたしにも、身体のどこかに「カッパのDNA」が宿ってしまったのかもしれない。
    −−「今週の本棚:若島正・評 『カッパ・ブックスの時代』=新海均・著」、『毎日新聞』2013年09月08日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130908ddm015070009000c.html


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