覚え書:「書評:明治のサーカス芸人はなぜロシアに消えたのか 大島 幹雄 著」、『東京新聞』2013年09月15日(日)付。



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明治のサーカス芸人はなぜロシアに消えたのか 大島 幹雄 著

2013年9月15日

◆革命を越え交錯する運命
[評者]春名徹=歴史研究者
 著者は最近『サーカスは私の<大学>だった』で評判になったが、評者の読書歴では二十三年前の最初の本『サーカスと革命』と『海を渡ったサーカス芸人』が強く印象に残っている。
 新著はこれらの仕事の延長上にある。著者はロシアのサーカス研究家から三枚の写真を見せられた。革命前のロシアにやってきた日本の芸人で、革命後もとどまった人たちだという。名はイシヤマ、タカシマ、シマダ。
 探索にとりかかる著者の前にあらわれたのは明治以降に、いっせいに国外に飛び出した芸人たちの姿だった。芸人をつうじた日本とロシアの深いつながり、第一次世界大戦からロシア革命へという激動の時代をロシアで生きた日本の芸人たちの物語でもあった。
 イシヤマ・マツァウラ(表記不明)は空中ブランコを演じ、第一次大戦にもかかわらずロシアにとどまった。ロシア人と結婚して男の子をもうけ、さらにソビエト時代にアジア系の養女と親子四人のグループで足芸を看板に巡業をつづけ、かの地で死去した。
 高島松之助はバチを使った太神楽の伝統芸を加味した斬新なジャグリングで、ヨーロッパの観客を魅了した。
 パントシ・シマダは実は朝鮮人で多彩な芸の持ち主、ロシア人と結婚して幸せな家庭をもったが、スターリン独裁の時代に突然逮捕、家族の前から消えた…。三人の運命に多くの日本人芸人の運命が交錯する。孤独に死んだ者、ヤマサキ・キヨシのようにスパイ容疑で銃殺された者。
 それは知識人と芸人が一体となった新しい文化の創造を実現したかもしれないソビエトルネサンス−道化師ラザレンコ、詩人マヤコフスキー、演出家メイエルホリド、それらを支えた芸人、俳優、読者、観衆たちの輝かしい時代に対する痛恨をこめた回顧であり、憧れといかがわしさの両面を持つ芸人そのものの宿命でもある。「サーカスの呼び屋」を自称する知識人・大島ならではの仕事である。
祥伝社・1680円)
 おおしま・みきお 1953年生まれ。サーカスプロモーター・早大非常勤講師。
◆もう1冊
 『アートタイムズ(10)特集「サーカス学」出帆!』(デラシネ通社)。サーカスの歴史や文化を総合的に探究する特集冊子の最新刊。
    −−「書評:明治のサーカス芸人はなぜロシアに消えたのか 大島 幹雄 著」、『東京新聞』2013年09月15日(日)付。

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