日記:「哲学には答えがない」わけではなく



哲学の授業をしていると、「哲学には答えがない」ですね、という反応がよくあります。

たしかに、これまで義務教育で学習したような意義での「答えがない」のかもしれませんが、厳密には「答えがない」わけではありません。

このあたりは最初に断るようにしてはいますが、これは学習をすることと、学問をすることの違いと言って良いかもしれませんが、例えば、問題集とその解答集があって、ひとつひとつの問題を解いて、それから解答集を開いて、正誤していくというような意味では、答えは存在しないといえば存在しないといってよいかもしれません。

そうではなく、自分で考え、そしてそれがどうなのか他者とすりあわせて、自分で答えをつかみ取っていく。その先に「答え」が存在する。

自分で苦労して手に掴んだ答えは、結果としては、問題集に付属する解答集に掲載されたものと同じかも知れません。

しかし、大切なことは、先験的に答えのようなものが実在し、鋳型に落とし込むように自分を変形させていくという発想を辞め、自分でそれをつかみ取っていく……そういう風に学問観というものを転換していかないかぎり、学習から学問への転換はできないのではないか……そういう風に思ってしまうわけですが・・・。

ともあれ、「答えがないですよね」……という前に「自分で探してみるか」という風にちょっと変えてみることをオススメしたいと思います。



 






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