覚え書:「今週の本棚:高樹のぶ子・評 『書簡集 1812−1876』=ジョルジュ・サンド著」、『毎日新聞』2013年10月27日(日)付。
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今週の本棚:高樹のぶ子・評 『書簡集 1812−1876』=ジョルジュ・サンド著
毎日新聞 2013年10月27日 東京朝刊
(藤原書店・6930円)
◇旧社会に真向かう女性作家の知性と恋
フランス中部の小村、ノアンに建つジョルジュ・サンドの館。ショパンと暮らした2階から見下ろすと、2本の樅(もみ)の大木が真っ直(す)ぐ空に伸びていた。サンドが2人の子供の誕生を記念して植えた木だ。二人が逃避行を試みたマヨルカ島では、岩山に囲まれたバルデモサの修道院近くに、書簡にも登場する樹齢千年のオリーブの樹(き)が、白い幹を大蛇のようにくねらせていた。
数年前、ショパンを描くためにサンドの書簡集をむさぼり読んだが、72年の生涯を通じて2000人以上の人間に、何と2万通を超す書簡を書き送った彼女の、それはごく一部でしかなかった。
本書には、8歳から死の直前までの彼女が、友人知人家族、芸術家や作家、俳優政治家さらには皇帝皇族にまで送った手紙の中から、249通が選び抜かれて収録されている。しかも「ジョルジュ・サンド セレクション」として刊行された全9巻の最終巻でもある。
ショパンの恋人としてのサンドしか知らない人は多い。けれど貴族社会が衰退しブルジョワが台頭してくる激動の19世紀前半に、作家としてジャーナリストとして、いや社交界の麗人として、従来の枠に収まらず、率直な発言と行動で時代に挑戦したのがサンドだった。
バルザックやドストエフスキーにも影響を与えた小説家だったが、現代から振り返り、もっとも説得力を持つ作品は、やはり書簡集ではないだろうか。作者の実人生と時代が直接的に伝わってくるだけに、旧(ふる)い意識と体制に真向かう新しい女の知性が、力強く迫ってくる。
サンドは自分が書き送った膨大な数の書簡が、やがて作品として扱われる覚悟を持っていただろうか。答えはイエス。翻訳のフィルターを通してだが、感情の露出には作家としての抑制が働いているし、どこかで第三者の目を意識してもいる。自分が作家であることを片隅に置きながら書いた手紙であり、ペンを持って文字を記せば、自(おの)ずと表現にならざるを得なかった、とも言える。
本書は幾つかの年代に分けてまとめてあるので、彼女の人生を順に辿(たど)ることが出来るのだが、ショパンを愛した時代の書簡がやはり圧倒的に多く濃い。気持が過熱し他者への訴えも切実、つまり懊悩(おうのう)が輝いている。
にもかかわらず、ショパンに宛てた書簡はショパンの死後、サンド自身の手で焼却されている。遺(のこ)されていれば、どれほどの熱情が溢(あふ)れていただろう。後年、ショパンとの恋を否定したかったのだとしても、ジャーナリストの直感ゆえ、やがてショパンへの恋文も作品として扱われるのを意識したサンドが、ナマの感情の表出を恥じたのだと想像できなくもない。
おそらくショパン宛の書簡だけは別の色に染まっていたのではないだろうか。
ショパンを愛し始めたころ、まるで言い訳のように彼の親友グジマーワに問いかけ、恋情の処し方を訴えている手紙は、古今東西の恋する女に通じる動揺や戦略が透けてみえていじらしい。
人生の最後には、作家としての強い認識をフロベールに書き送っている。
「巧みな表明は感動からのみ生じ、感動は確信からのみ生じます。熱烈に信じていないようなものに人はけっして感動しないものです」
自分を信じ切った女性だからこそ、書簡集を作品として残せたのである。(持田明子・大野一道監訳)
−−「今週の本棚:高樹のぶ子・評 『書簡集 1812−1876』=ジョルジュ・サンド著」、『毎日新聞』2013年10月27日(日)付。
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http://mainichi.jp/feature/news/20131027ddm015070002000c.html