日記:人間は、一生を通じて「意識が低い」こともなければ、一生を通じて意見が違うとも限りません。




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 人間も「個体」とみなすべきではありません。あの人は活動家だ、あの人は意識が低い、あの人は××派だ、あいつは一度裏切った、あいつはあのとき来なかった、などなど。人間は、一生を通じて「意識が低い」こともなければ、一生を通じて意見が違うとも限りません。こちらから働きかければ、変わるかもしれません。
 おもしろいことに、弾圧する側は、よく運動の個体論的な考え方を利用します。ある程度広がりを持つ運動が出てくると、「穏健派」と「過激派」に分裂することをしむけます。
 たとえば目立つ運動があったときに、中心的に活動している人を、交通違反でも公務執行妨害でも、みせしめで逮捕する。それを見た人たちが、怖がって脱落したり、活動を手控えれば、残った人たちを「過激派」にできる。直接に逮捕しなくても、規制を厳しくしたりして、運動が思ったように発展しないという気分にさせるだけでも、こうした分裂をおこせます。
    −−小熊英二『社会を変えるには』講談社現代新書、2012年、486頁。

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今日というか昨日の入浴介助は、史上最大の件数でしたが、息つく間もなく最短で終了。今回は、「2年ぶりですよw」という最古参の超ベテラン看護師とペア。

まじで凄かった。

「星の数よりメンコの数」(『兵隊やくざ』)というけど、これはどの世界にもありますね。

さて……。
それが済んでから夜勤に入りましたが、こちらはこちらで精神的に疲れました。

所謂、震災で目覚めたという同僚から、難癖というか、要するに、「真面目に」「純粋に」「自分に正直に」“生きること”が大事だと説教されたのですが、そんなん、言われんでも分かっている。

ただ、「真面目に」「純粋に」「自分に正直」に生きることを「意地」になってやっているとそれは違うワなと思った。

それまで、「眠っていた」という深い反省から、「真面目に」「純粋に」「自分に正直」に“生きよう”と決意したとのことですが、……それはすごいことだと思う……、それを眉間にしわを寄せて「やったるぞー」(→の返す刀でお前も真剣に生きろって話)って切り出されてしまうと、ちょと違うような感。

「真面目に」「純粋に」「自分に正直」に生きたらええと思うし、僕もそうありたいとは思う。ただし、それは「やったるでー」って「意地」になってやったら「真面目」は「真面目」だけど、純粋かとか自分に正直かといえば違うような気がしてね。

ちょと、正直うっとおしかった。

それまでの生き方を反省して違う生き方を選択することは誰にでもあるし、僕は大事なことだと思う。しかし、過度の精神主義や道徳主義というのは、大局的・長期的にみると、本人自身を毀損してしまうことになるのではないかねー。ふざけじゃなくて字義通りだけど「テイク・イット・イージー」は大事だな、と。

なんというか、あえて「悪ふざけ」する必要はないと思うけど、真面目とか正直に生きることを「望む」ことは大事だけど、「かくあらねばならぬ」とイデオロギー化してしまうと、真面目とか正直とはほど遠いものになるような気がするのよね。




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