覚え書:「今週の本棚:海部宣男・評 『ヒトのなかの魚、魚のなかのヒト』=N・シュービン著」、『毎日新聞』2013年11月17日(日)付。
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今週の本棚:海部宣男・評 『ヒトのなかの魚、魚のなかのヒト』=N・シュービン著
毎日新聞 2013年11月17日 東京朝刊
(ハヤカワノンフィクション文庫・840円)
◇多細胞生物の身体形成の秘密に分け入る
一九世紀半ばのイギリスで、地下に埋まった巨大生物の化石を研究して「恐竜」という名を与えたのは、偉大な解剖学者サー・リチャード・オーウェン。彼は、ヒト、ウマ、カエル、クジラ、鳥などの手(鰭(ひれ)、翼)や足の骨が、上から太い一本の骨、二本の骨、複数の小さな骨の塊、そして五本の指という、同じ基本デザインでできていることを明らかにした。見事な共通性にオーウェンは満足し、これこそ神が生物を周到に設計したことを示すと考えた。
しかしすぐ後で『種の起源』を発表したダーウィンにとっては、同じ事実が、広範な四肢動物が同じ祖先から進化したことを明瞭に示す証拠だった。著者が言うには、ダーウィンとオーウェンの理論の違いは、ダーウィンの理論が「正確な予測を可能にする」ことである。
著者のグループがカナダ北端の北極圏に毎年ヘリコプターで運ばれ、吹きさらしのデボン紀の地層で化石をひたすら探しまわったのも、この「予測」に基づく。ダーウィン理論の「四肢動物の共通の祖先」とは、「魚」であるはずだ。四億年近く前、海から陸に上がった最初の陸上植物や昆虫に交じって、原始的な四肢を備えた「魚」がいたに違いない。その化石があるとすれば、当時の河が海に注ぐ地域で形成された堆積層だろう。こうして六年の苦心が実り、著者たちは原始的なデザインの四肢骨を持つ「魚」を発見してティクターリクと名付け、大反響を呼ぶのである。
話は、魚止まりではない。著者はシカゴ大学の自分の研究室を二つのグループに分け、一方では化石による動物の進化を、他方では現生動物の胚からの発生とそれについてのDNAの役割を並行して調べている。そうした研究をベースに本書が追うのは、四肢、歯、嗅覚、眼(め)、耳など、それに「身体」を作るボディ・プランの仕組みである。こうして動物の「身体の起源」を探るたびに、サメ、イソギンチャク、ナメクジウオ、カイメンや細菌にまで、私たちの身体と共通する痕跡が見つかる。
例えば、耳。私たちが音楽を楽しむ中耳・内耳の構造は、原始的な魚の呼吸器である鰓(えら)や水流を測る感覚器から派生し、哺乳類では大いに発達した。例えば、歯。動物の身体で一番硬い歯は、古代のヤツメウナギのような原始的な魚コノドントあたりから始まり、初期魚類である甲皮類の鎧(よろい)は、歯が集まって作られた。ウロコや羽毛も、歯に続いて皮膚から生み出されたもの。歯は最も古い肉食の名残りだが、その後身体のさまざまな部品として転用されて、大きな発展を遂げたのだ。
著者の筆は、解剖や化石探しなど自身の研究の苦心と興奮や、冒頭のオーウェンとダーウィンの話のような研究史をちりばめて飽きさせない。多細胞生物の身体形成の秘密に迫り、私たちの身体にもさまざまに痕跡を残した過去の膨大な生物(言ってみればご祖先たち)を思い起こさせてくれる。終章のテーマは十億年近い昔、単細胞から多細胞生物への大ジャンプだ。
私たちはつくづく、すごい時代にいると思う。人間の出現までの進化の道がこんなふうにトータルに浮かび上がってくる。そして太陽系外では幾多の惑星が発見され、その上の生命の存在が追求されようとしている。宇宙論と素粒子論では、この世界を作る物質・力・空間の起源に迫る研究が競われている。
いっぽう人間社会に目を向けると、先を読むのが難しい時代であると感じる。でもこれほどの英知を持つ人間、なんとか明るい展望を開いてゆけるよと、楽観的にもなれるというものだ。(垂水雄二訳)
−−「今週の本棚:海部宣男・評 『ヒトのなかの魚、魚のなかのヒト』=N・シュービン著」、『毎日新聞』2013年11月17日(日)付。
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http://mainichi.jp/shimen/news/20131117ddm015070023000c.html