覚え書:「今週の本棚:三浦雅士・評 『北のはやり歌』=赤坂憲雄・著」、『毎日新聞』2013年11月17日(日)付。



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今週の本棚:三浦雅士・評 『北のはやり歌』=赤坂憲雄・著
毎日新聞 2013年11月17日 東京朝刊

 (筑摩選書・1575円)

 ◇ウェブ時代の「昭和の歌」をたどる

 「はやり歌」すなわち「流行歌」である。「リンゴの唄」「北上夜曲」「北帰行」「ああ上野駅」「港町ブルース」「浜昼顔」「北国の春」「津軽海峡・冬景色」「俺(お)ら東京さ行ぐだ」「みだれ髪」の全十曲、全十章。いや、関連する曲も含めてこれに倍する流行歌が取り上げられ、柳田国男の名著に倣っていえば、『昭和史・世相篇』が語られる。

 なぜ「北」なのか。著者はウェブの二木紘三のブログの言を紹介している。

 「ふるさと、もしくは帰るべき場所が南にある人も多いはずなのに、傷心して南へ帰るといった趣旨の歌詞は、ほとんど見たことがない。おそらく、北という言葉に多くの人が抱く冷涼で寂寂(さびさび)としたイメージには、傷ついた心を癒すなにかが含まれている。南の光に満ちたイメージは、憧憬(しょうけい)・希望・夢といったプラスの心象にふさわしく、傷ついた心には眩(まぶ)しすぎるのかもしれない−−と。」

 第三章「北帰行」の一節だが、著者は、「北帰行」の原曲が中国大陸の、大日本帝国にとっては最後の官立高校であった旅順高等学校の寮歌であったという事実を指摘し、小林旭が歌ってヒットしたこの流行歌の隠れた一面をたどっている。思いがけない事実の指摘はほかにも多く、第一章で紹介されている「リンゴの唄」の作詞者サトウハチローが、じつはその数カ月前に戦意高揚の歌「台湾沖の凱歌(がいか)」を作詞していたという事実にしてもそう。なかにし礼の『歌謡曲から「昭和」を読む』から引いているが、考え込ませられる。

 第六章「浜昼顔」はそのまま卓越した寺山修司論になっているが、それも古賀政男のこの曲が、一九三六年には佐藤惣之助作詞「さらば青春」として、五六年には丘十四夫(としお)作詞「都に花の散る夜は」としてすでに発表されたものであり、七四年の寺山の作詞はいわば三度目の正直であったという意外な事実を軸にしている。古賀はおそらくこのメロディはまだふさわしい歌詞に出会っていないと感じ、最後の作詞者として寺山を指名したのではないかというのだ。その後に「人の一生かくれんぼ」へと展開する流れは見事。

 だが、何よりも印象的なのは頻繁にウェブを参照していること。寺山への言及もウィキペディアから始めている。それもそのはず、本書はもと「Webちくま」の連載。さまざまなブログの文章が、街を行きかう人々の声を録音するように引用されているが、みな所を得ている。

 この感覚は新しい。二十世紀後半は基本的にラジオ、テレビの時代。年それぞれに流行歌があって、街を歩けば聞こえてきた。だが、九〇年代に入って「紅白歌合戦」が必ずしもその年の流行歌総集編にはならなくなってきた。ウォークマンなどの普及によって歌は個人の脳にじかに入り込み、街や茶の間で共有するものではなくなったのだ。人々はいわば同じ一年を共有しなくなった。変化は二十一世紀に入ってインターネットが一般化し、決定的になる。

 著者はあとがきに「YouTubeから流れてくる歌にどれだけ耳を傾けたことか」と書いているが、ウェブはいまや永遠の現在に属しているかのような錯覚を与える。本書がきわめてアイロニカルな表情を見せる理由だ。ちなみに、YouTubeでは東欧の歌謡曲を聴くこともできる。日本の歌謡曲に似ている。西洋クラシックが普遍的というのは幻想だという気がするほど。「北のはやり歌」は日本だけの現象ではないのかもしれない。

 さまざまな次元で示唆に富む一冊である。
    −−「今週の本棚:三浦雅士・評 『北のはやり歌』=赤坂憲雄・著」、『毎日新聞』2013年11月17日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20131117ddm015070017000c.html


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