日記:旅に出ることは日常の生活環境を脱けることであり、平生の習慣的な関係から逃れることである
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旅に出ることは日常の生活環境を脱けることであり、平生の習慣的な関係から逃れることである。旅の嬉しさはかように解放されることの嬉しさである。ことさら解放を求めてする旅でなくても、旅に老いては誰も何等か解放された気持になるものである。或る者は実に人生から脱出する目的をもってさえ旅に上るのである。ことさら脱出を欲してする旅でなくても、旅においては誰も何等か脱出に類する気持になるものである。
−−三木清「旅について」、『人生論ノート』新潮文庫、昭和六十年、132頁。
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金曜日は授業が済んでから、若い衆と八王子で快飲しました。
社会情勢から文学についてまで−−はば広く意見を交換できたのはなにものにも代え難いひとときでありました。
皆様ありがとうございました。
で……。
電車に乗って帰るはずが、気が付くと、「大月なう」。
始発まで、居酒屋で待機という悲劇という、とほほ。
不可抗力の如き「旅」となってしまいましたが、「旅に出ることは日常の生活環境を脱けることであり、平生の習慣的な関係から逃れることである」と納得しておきましょう・・・とほほ。