覚え書:「今週の本棚:川本三郎・評 『花森安治伝−日本の暮しをかえた男』=津野海太郎・著」、『毎日新聞』2013年12月22日(日)付。

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今週の本棚:川本三郎・評 『花森安治伝−日本の暮しをかえた男』=津野海太郎・著
毎日新聞 2013年12月22日 東京朝刊

 (新潮社・1995円)

 ◇市井の人々への変わらぬ思い

 昭和三十年代から四十年代にかけて、『暮しの手帖(てちょう)』は輝いていた。女性の暮しの改善、向上を目ざすが、決してヌカミソ臭くない。デザインは垢抜(あかぬ)けている。企画は斬新で、家庭料理を従来の料理研究家ではなく料亭などのプロの料理人に作ってもらい、それを紹介する。

 ドイツ料理店のコックをしていた千葉千代吉のカレーライスは、志賀直哉が「つくり方」通りに作ってすっかり気に入ったほど。

 ソックスから始まった各メーカーごとの商品テストは大きな話題になり、ここで評価が高かったイギリスのアラジン社の石油ストーブは一気に売行きを伸ばしたものだった。

 商業雑誌なのに広告をいっさい入れない編集方針も見事だった。だからこそ企業に気兼ねすることなく商品テストが出来た。

 戦後の出版界、女性文化、日本人の暮しに大きな影響を与えた『暮しの手帖』の編集長、花森安治(一九一一−一九七八)の生涯を語る評伝。著者自身も出版界に身を置いていただけに、先達の独創、多才、持続力への敬意があり、読みごたえがある。

 評伝は、負の部分からも目をそらすことは出来ない。花森安治には、戦時中の悪名高い国策標語「ぜいたくは敵だ!」の書き手だったという伝説がつきまとう。著者はその問題にもきちんと触れている。

 また「欲しがりません勝つまでは」は花森安治が書いたのではなく、戦時中、大政翼賛会の「国民決意の標語」の募集に、ある男性が娘の名で応募したものを花森らが選んだのだという。

 自分が書いたものではない。それでも花森が大政翼賛会の事務所で働いていたことは事実だった。だから戦後、花森は「ボクは、たしかに戦争犯罪をおかした」と言い、自分は過去の罪を執行猶予にしてもらっている身だと自覚していた。

 著者は戦時中の花森を全面的に肯定はしていないが、それでも花森が戦時下、日本を守ろうとしたのは本気だったと認める。花森には兵隊体験がある。日中戦争が始まったあと妻子ある身で召集を受け、北満に送られた。一兵卒として苦労した。だから本気で国を守らねばと思っていた。

 だが「国を守る」とは具体的になんだったのか。花森にとってそれは「日本人の日常生活」だったと著者は気づく。イデオロギーや大言壮語とはまったく違う。市井の人間の日々の暮しこそが守るに足るものだった。この花森論は卓見である。

 花森がのちに医師、松田道雄の「日常を愛する」「戦争への抵抗は日常を大事にすることだ」という考えに共鳴するのもそのため。

 何よりも、戦後、一九四八年に『暮しの手帖』(当初の誌名は『美しい暮しの手帖』)を創刊した時の思いは、天下国家よりも日本人の日々の暮しの充実にあった。ということは、「暮しを大事にする」一点で、花森安治の考えは戦前も戦後も一貫していたことになる。

 「料理」や「商品テスト」ほど大きな話題にはならなかったが、『暮しの手帖』には「ある日本人の暮し」といういい連載があった。人間ドキュメンタリー。そこでは行商人、戦争未亡人、大部屋女優といった市井の人間が取り上げられた。ここにも花森の「暮し」への一貫した思いがある。

 面白い人だったようだ。背広でネクタイというスタイルが嫌いで、スカートをはいていたのはよく知られている。

 戦時中、奥さんへの手紙に「大好きな/チイコちやん/いつぱいキッス」とあるのにはびっくり。
    −−「今週の本棚:川本三郎・評 『花森安治伝−日本の暮しをかえた男』=津野海太郎・著」、『毎日新聞』2013年12月22日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20131222ddm015070017000c.html





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