覚え書:「今週の本棚:鼎談書評 カナダからみる英語文学 評者・池澤夏樹、鴻巣友季子、中島京子」、『毎日新聞』2013年12月29日(日)付。
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今週の本棚:鼎談書評 カナダからみる英語文学 評者・池澤夏樹、鴻巣友季子、中島京子
毎日新聞 2013年12月29日 東京朝刊
◇評者 池澤夏樹(作家)鴻巣友季子(翻訳家)中島京子(作家)
◆小説のように アリス・マンロー著、小竹由美子訳(新潮社・2520円)
◇「次元」をかわす短編群−−中島氏
池澤 今年のノーベル文学賞受賞者はカナダの女性作家、アリス・マンローでしたね。マーガレット・アトウッドとマイケル・オンダーチェを加えてカナダの作家の話をしましょう。受賞は予想外でしたか。
鴻巣 実はカナダはかなり有力だと思っていました。アトウッドは畢生(ひっせい)のディストピア(ユートピアの逆)三部作を完結させたばかりですが、私の勘ではもう一人の引きが強い気がして。すなわちマンロー(笑い)。
池澤 マンローはパーソナリティーの作り方がうまい。リアリティーがあって平凡でないドラマチックな登場人物を次々に繰り出す。一編読み終えたら「まだ九つある。明日の晩また読もう」というふうに、読書の喜びを小刻みに満たしてくれる。
◇元に戻らない「真理」−−鴻巣氏
中島 読むのに一番時間がかかったのがマンローでした。話に入り込むまで冒頭から何度も読み直さなきゃいけない。10編すべて一々入って出る必要があるし、一からやり直すみたいにインターバルがいる。そういう特徴のある作家なんですね。
池澤 一つ読んでも次が予想できない。次を読む助けにならない。
鴻巣 半世紀前には「そのへんの主婦が書いた話」とけなす声もあったそうですが、頑として短編にこだわり、定期的に再評価されてきた。その評価がらせん状にせり上がり、ノーベル賞に至った感じですね。
池澤 広大なカナダのリアリティーも感じられる。案外、英語圏全体のリアリティーかもしれない。『小説のように』の一編「次元」にはオンタリオ州のロンドンが出てくるけど、イギリスだって構わない。
鴻巣 何か“次元”が違う言葉が次々出て来て、マンローを訳すのは恐ろしい。抽象的な事柄を書いていたはずが、すごい具象で終わったり。
池澤 滑らかに曲がると思っていたら、いきなり急角度で(笑い)。「次元」は残り3ページまで読んで、どう終わらせるのかと考えてしまった。バンと大きなものを持ってきて見事に終わるんだけど……。
中島 でも、この人物は今まで登場してなかったぞ、と(笑い)。
鴻巣 転調を重ねて、もうこれ以上、裏声は出ないところまで行って元に戻らない感じです。そのギャップにこそ彼女の真理があるのかも。
池澤 意味をこじつけることもできるけど、勝手に収まりのいい読み方をしちゃいけない気もする。
中島 「次元」は、子どもを殺す元夫が異常ですね。それでも面会に行く主人公は共依存的関係なのかと思うと、フッとかわされる。でも、ちょっとした救いがあって、作者の根源的な優しさも感じられます。
鴻巣 「深い穴」は、子どもがピクニックで穴に落っこちちゃう。
池澤 それを機に親と離れ、違う生き方をする。けれど、事件の具体性と後の展開にギャップがある。よくこれほどねじ曲がれるなあ。
鴻巣 穴に落ちる小説が現代文学に?と訝(いぶか)しむほど露骨に寓話(ぐうわ)的、暗喩的なのに、未知の世界が現れる。
中島 すべての短編のタイトルを「次元」にしたくなる(笑い)。
池澤 まったく、関節を外されるような作家なんですね(笑い)。
◆オリクスとクレイク マーガレット・アトウッド著、畔柳和代訳(早川書房・3150円)
◇“力業”の世界終末小説−−池澤氏
池澤 次は、強烈に大きくて重たいアトウッド。マンローとは作風が全然違う。現実のネガティブな面を外 挿(エクストラポレイト)し、極端に進めてどこまで行くか実験的かつ精緻にやる。極端な遺伝子工学と環境破壊で人類が絶滅する。壊れた現在とそこに至る過去を交互に並べた世界終末小説。
鴻巣 今、全米のヤングアダルト小説はディストピアが大人気です。
中島 それは、つらいですね。
鴻巣 世界の滅亡後の新しい国で、荒廃というより管理が行き過ぎる。いわばユートピアの拡張概念としてのディストピア。登場する生き物はある意味、幸せなんです。
池澤 ナイーブでイノセントで。
鴻巣 <クレイカー>という生き物も非常におとなしい。セックスとか感情的なものが取り去られ、植物みたいに繁殖する。ところが、無意志で無抵抗だけど、<スノーマン>にお話をせがむんですね。それが創造性の始まりで、創造主の話から宗教、言語の違いになり、必然的に戦争が起きて世界が変わっていく。
池澤 それで……あるいは元に戻るのかもしれない。
鴻巣 すべてを剥ぎ取られても、クレイカーは音楽を愛し、物語性に執着します。それは、遺伝子工学や薬物で操作しても変えられない。
池澤 ヒューマニズムかな。
中島 クレイカーは言葉自体を理解できない子どもの状態。ホメロスのようなスノーマンが教え始める瞬間に物語が終わるので、人間の良さも悪さもまた繰り返すような気がしてくる。三部作の1作目ですね。
鴻巣 確かに次への布石のよう。2作目の『洪水の年』(未邦訳)は必然的にカルト教団の話になります。
池澤 昔の世界終末小説では、引き金になるのは核戦争でしたね。
鴻巣 ここではオンラインでウィルスがばらまかれるサイバーテロ。
中島 ハルマゲドンですね。
池澤 とにかく、彼女の力業はいかにも北米の作家、という気がする。
中島 遺伝子組み換えによる、頭のない気味悪い生きた鶏肉みたいなものとか、ありそうなディテールが詰め込まれて恐怖を呼びます。
池澤 現状からもう3歩ぐらい前に出る。リアリティーを保ったまま。
鴻巣 予言者的ですね。60年代後半の『食べられる女』で女性の摂食障害を書き、70、80年代には、いじめや多重人格症を小説に取り入れた。
中島 他にも製薬会社や保険会社に都合のいい病気の開発とか、現代社会への厳しい批判がある。
池澤 彼女の警告に、現実が近づいていく。そして、センチメンタルでない。そのへんが北米的かな。つい、カズオ・イシグロの『私を離さないで』と比べてしまった。
鴻巣 あれはクローンですね。
池澤 イシグロはクローンについてはサッと書いて、一定の年齢での死や看取りの悲しみに力を尽くしている。立ち位置がずいぶんちがう。
中島 イシグロは、読者自身の記憶に特殊な少女・少年時代を生みつけるような怖さを作り出しますね。
池澤 だから読者は共感ないし同情を抱く。つまり、身につまされる。アトウッドには一切それがない。
中島 最後に明かされる人類滅亡の理由は意外でしたが、爆発感染(パンデミック)が簡単に起こり得る怖さは残ります。
池澤 今の消費社会の肌触りを実にうまく捉えている。ぶっ飛んでいるようだが、全然そうでない。だけど、福島の原発事故のような現実に小説は負けてしまいますね。
◆名もなき人たちのテーブル マイケル・オンダーチェ著、田栗美奈子訳(作品社・2730円)
◇少年が見た「迷宮」の船−−鴻巣氏
池澤 オンダーチェは旧英領のスリランカ出身で、同じく旧英領のカナダに移住した珍しい作家です。
中島 11歳で渡英してパブリックスクールで教育を受け、19歳で兄弟のいるカナダに行きました。
池澤 内戦を描いた作品もあるけれど、これは軽くて楽しい。限られた時間と空間にどれだけ詰め込めるか、ゲームのようにして書いている。
中島 11歳の少年の21日間の船旅。「ディケンズの少年ものを自分版で書いてみたよ」という感じ。
池澤 オリバー・スリランカ・ツイストかな(笑い)。物語の作り方を守って嫌みなく仕上げている。原題は『The Cat’s Table』。
鴻巣 <キャッツ・テーブル>というのは「劣等席」ですね。そこにいる人たちは普段、表舞台から見えない。だからかえって、いろんなものが見える場所に入っていける。色彩の洪水のような植物のある部屋とか、船全体が迷宮のようでした。
池澤 主人公は隙間(すきま)をくぐって上流階級の甲板まで行ってしまう。船の中の階層・階級社会を縦断的に動ける特権的な子供という存在です。
鴻巣 子供だから理解できない分、かえって本質を映し出すこともあります。ポンと提示するだけで解釈しない。でも読者には分かる。
池澤 10年、20年後の自分に振り返らせて理解させることもあるけれど、神の視点は絶対に使わない。条件が厳しいほうが面白い。でも、代表作『イギリス人の患者』のほうがもっと面白かった。あの小説もつくづく作り物だけれど、過去のある4人のエピソードを極めて詩的な文体で描いている。
鴻巣 断片を重ねて過去と現在を行き来する物語。ぼんやりした文体で始まり、中盤で初めて括弧付きの台詞(せりふ)が出て来ます。耳の栓が抜けたみたいに声がスコーンと響き渡るのが鮮やかで、文学ってこんなことができるのかと驚かされました。
池澤 映画のほうはメロドラマになってしまって面白くない。
鴻巣 この『名もなき人たちのテーブル』にも、囚人が夜、甲板を散歩したり、変な植物だらけの部屋で食事したり、文字で読めてよかったと思えるシーンが多かった。
中島 「この先も、僕を変えるのはいつだって、人生のさまざまな<キャッツ・テーブル>で出会う、彼らのような他人たちなのだ」というフレーズも、とても印象的でした。
池澤 それこそ、移民として苦労してきた出自にかかわる人間観じゃないかな。イギリスに対するスリランカ人やカナダ人のことですよ。
中島 キャッツ・テーブルの人たちの持つ周辺性、端っこ性ですね。
◇ブッカー賞の功績−−中島氏
池澤 3人の作品を読むと、カナダ文学である以前に英語圏の文学が感じられます。社会性が前に出て哲学性が一歩下がり、作者と登場人物に距離がある。例えば、私小説の扱い。フランスや日本の作家は、自分の子供が死んだことを書く。英語圏の作家はやらない。登場人物を作って動かすけれど自分の手の跡は残さない。そういう突き放した姿勢が歴然とある。つまり、お話を作っている。だからディケンズのよう。
中島 3人ともブッカー賞に関係がありますね。
鴻巣 マンローは国際ブッカー賞だけど、確かにブッカー絡みです。
中島 私、実はブッカー賞好きなんです。ディケンズ的な英語文学の伝統を守りつつ、旧植民地の作家に多く授賞してきましたね。
◇旧植民地と女性の力−−池澤氏
池澤 旧植民地の人たちは苦労してきたのに、出版社もなくて苦労を小説にできなかった。埋もれた才能がイギリス出版界という場を与えられ、英文学は一気に広がった。ブッカー賞はそこをすくい上げてきた。
中島 今や英米の白人男性は何を書いても評価されないとも(笑い)。
池澤 そういう意味で、探偵小説は実にイギリス的ですね。探偵に都合の良い論理だけでできている。ホームズの推理は、正しくない可能性も十分ある。でも、それを認めると小説が成り立たない。
鴻巣 他の可能性がさりげなく排除されているんですね。
池澤 それを裏付けるのが固定的なイギリス社会のエスタブリッシュメントの論理。探偵を特別扱いする。逆にこれを壊すのがフェミニズムやポスト・コロニアリズムなんです。
鴻巣 探偵小説は帝国主義の論理や家父長制の権威でできている。
中島 今年のブッカー賞は、エレノア・カットンというニュージーランドの若い女性作家でした。
鴻巣 28歳、カナダ出身ですね。
中島 女性作家の地位が低いらしく、向こうの友人は、彼女の受賞をすごく喜んでいて……。
池澤 文学賞の一番面白い機能ですね。価値の基準がひっくり返る。
中島 ノーベル賞も、マンロー以前は政治性・社会性に高評価、という印象がありましたが。
鴻巣 マンローへの授賞理由は「短編の名手」と一言だけ(笑い)。
池澤 短編は文学の基本形。政治的な主張に影響されずに楽しめる。
中島 とにかく、マンローはゆっくり読むのをお薦めしたいです。=鼎談(ていだん)書評は随時掲載
−−「今週の本棚:鼎談書評 カナダからみる英語文学 評者・池澤夏樹、鴻巣友季子、中島京子」、『毎日新聞』2013年12月29日(日)付。
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