覚え書:「書評:戦争という見世物 木下 直之 著」、『東京新聞』2014年1月12日(日)付。


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戦争という見世物 木下 直之 著

2014年1月12日


◆勝利する「物語」に酔う人々
[評者]長山靖生=思想史家
 明治二十七(一八九四)年十二月の東京は、日清戦争勝利の祝賀ムードに包まれていた。本書はそんな時代にタイムスリップして、当時の社会情勢を観察する体裁ではじまる。
 戦争は娯楽だった−といったら不謹慎と怒られるかもしれないが、現実にそうだったのだから仕方がない。戦争は多くの国にとって現在も、正義や名誉や国民の生命財産を守る最終的解決手段と考えられている。それに戦争は、何よりの景気刺激策であり、国威発揚、国民統合に便利だった。国民も、勝ち戦なら歓迎した。
 近代日本が経験した最初の本格的対外戦争だった日清戦争は、終始、日本側優勢で進んだ。メディアも日本軍の勇猛果敢、戦果の大きさを華々しく書き立てた。戦地は日本本土を離れた外地で、一般庶民は戦争を報道や誇張された講談や演劇などを通して「物語」として受容した。
 それにしても、市井の人々のはしゃぎぶりは凄(すさ)まじい。彼らは祝捷(しゅくしょう)大会を見物し、万歳三唱に声を合わせ、分捕り品の陳列を眺めては、戦争に参加した気分を味わった。
 各業界では、それまでの不景気を吹き飛ばすかのように、祝捷に因(ちな)んだ便乗商品を売り出した。手品師や時代遅れの剣客も、この機会にイベントに参加して気勢を上げている。軍歌や「祝捷踊」も作られ、宴会で歌ったり踊ったりの騒ぎもあった。
 新聞雑誌は、記事や特集号、専門雑誌を出すだけでなく、祝賀大会に直接かかわっている。都新聞が清国皇帝のイメージを喚起する龍(りゅう)の切首のハリボテ山車を引き出せば、自由新聞社は大陸征伐の大先達である秀吉の千成瓢箪(せんなりびょうたん)を思わせる提灯(ちょうちん)飾りを繰り出した。
 日清戦争の報道では「事実」そのものより「物語」が人気を博した。しかもその痕跡は今も、風化しながらも全国各地に残存している。もしかしたら、われわれの精神の底流にも、それは残っているのかもしれない。
ミネルヴァ書房・2940円)
 きのした・なおゆき 1954年生まれ。東京大教授。著書『わたしの城下町』など。
◆もう1冊
 原田敬一著『日清・日露戦争』(岩波新書)。日本がなぜ短期間のうちに戦争を重ねたか。その結果、日本がどう変わったかを検証する。
    −−「書評:戦争という見世物 木下 直之 著」、『東京新聞』2014年1月12日(日)付。

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