覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 医療現場にも忍び寄る影=本田宏」、『毎日新聞』2014年01月15日(水)付。

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くらしの明日
私の社会保障
医療現場にも忍び寄る影
秘密保護法とインフォームドコンセント
本田宏 埼玉県済生会栗橋病院院長補佐

 今年は私にとって還暦に当たる年だが、今回ほど沈鬱な気分で正月を迎えたのは初めてだ。昨年12月に国内各層からの幅広い反対と慎重審議を求める声を無視して、特定秘密保護法強行採決されて成立したからだ。
 今回の法律では、秘密の範囲が外交や国際テロ分野以外にもひろ学可能性があり、しかも情報開示がされないものも想定されるため、重要情報が抹殺され、将来の歴史的な検証も不可能になる恐れがある。このまま秘密保護法が施行されれば、民主主義の根幹をなす「国民の知り権利」が侵される恐れが強い。医療現場では、世界常識となったインフォームドコンセントの理念が日本の政治から失われる危険性が高い。
 インフォームドコンセントとは「正しい情報を得た上での合意」を意味する。医療者が患者に検査や投薬、手術などを実施する際、それらの内容について詳細に説明し、患者が治療などのメリットだけでなく、デメリットを十分理解したうえで、自らの自由意思に基づいて医療行為を受ける同意をすることだ。
 インフォームドコンセントが世界的に注目されたきっかけは、1964年の世界医師会で採択された医学研究の倫理的原則を定めた「ヘルシンキ宣言」だ。この宣言は、先の大戦中にナチス・ドイツ政権下で起きた「医師による患者への残酷な人権侵害」と、加えて医師がその行為をしたのはナチス政権の指示に従ったためで、行為は合法であったという事実に反省と自責の念を持って採択された。
 世界医師会は、ナチスと同じ人権侵害を二度と繰り返さないため「医師は非倫理的行為を求める法には従わない」ことを決めた。さらに、ナチス政権下のような医師の独断による医療を防ぐため、世界中の医療現場で、患者の自己決定権を最優先するインフォームドコンセントが行われるようになった。
 今回の秘密保護法は、宣言のこの規定に抵触する可能性が高い。国が求めれば医療者が患者の個人情報を開示しなければならず、患者の人権が損なわれ、患者との信頼関係が崩壊し、医療行為が成り立たなくなるからだ。そのうえ、秘密保護法では、監督官庁が意図的に情報を隠したり廃棄したりできるようになり、薬害エイズのような事件の解決も不可能になる。
 医療行為の基本が医療者と患者間のインフォームドコンセントにあるように、民主政治の基本は政治家と国民の間の説明と同意にあるはずだ。論語の「民信無くば立たず」のように、国民に情報を開示する努力を放棄すれば、日本の民主主義は根幹から崩れる。子や孫に胸を張ってバトンタッチできる国にするため、今年は秘密保護法廃止に向けた運動の一年としたい。
ことば ヘルシンキ宣言
 ヒトを対象とした医学研究に関する倫理の原則。ナチス・ドイツの反省から、患者の尊厳を損なう人体への介入や組織の使用を防ぐために作られた。自由意思による同意、患者の利益やプライバシーの保護、臨床研究などに関する規定がある。
    −−「くらしの明日 私の社会保障論 医療現場にも忍び寄る影=本田宏」、『毎日新聞』2014年01月15日(水)付。

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