覚え書:「書評:私の文学遍歴 秋山 駿 著」、『東京新聞』2014年01月26日(日)付。

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私の文学遍歴 秋山 駿 著  

2014年1月26日


◆人の内面を深く探る批評
[評者]富岡幸一郎=文芸評論家
 昨年十月二日夜半、秋山駿は八十三歳で逝去した。これは雑誌「二十一世紀文学」などに掲載され、作家の岳真也の取材に応えた語りをまとめた本であり遺作となった。十五歳で敗戦をむかえ、中原中也の詩や小林秀雄の批評にふれた若き日から文芸評論家としての歩みを始めてゆく日々、そして同時代作家との交友や、自らの死を意識した最晩年の声が生き生きとよみがえってくる。まさに文学的自叙伝であり、同時に戦後の時代史となっている。
 『内部の人間』を出発点とする秋山駿の批評は、「私とは何か」という抽象的な思索を基軸に展開されたが、六十六歳の時に刊行した『信長』はこの批評家の新たな領域を拓(ひら)いた。路上の石のような平凡で無用なもの、誰もが通り過ぎてしまう小さな存在を凝視し、そこから独自な文学的エッセイによる存在論というべきものを確立した秋山は、『信長』によって非凡な天才の孤独に迫り、歴史という軸による人間論、日本人論を試みた。
 それは小説家による人物論にはない、また時代小説などの英雄像では肉迫(にくはく)できない、人間の内面を深く掘りさげる秋山駿の批評の刃によって初めて可能となった。抽象と具体、内面と外界、時間と空間、思索と行動という二つの極を結ぶ、その批評の言葉の強さは比類ないものであった。小林秀雄が文芸批評を芸術の領域まで高めたとすれば、秋山駿は批評を日本語による哲学へと敷衍(ふえん)したといってよい。
 本書の最後の語り下ろしは、死を前にしての文字通りの遺言となった。「『死』が親しくなったなら怖いはずがないじゃないか。そう一またぎ、わずかな溝を一またぎだよ」と語る。学生時代から三十有余年、秋山氏に親しくして頂いた者として、点滴も鎮痛剤も拒否され死と対峙(たいじ)された最期の日々を想(おも)う。十月六日の通夜の氏の顔は、サント・ブーヴのいう一切を喰(く)らい尽くす苛烈な夏のような批評の仕事を終えられた、安らかな表情をされていた。
(作品社・1890円)
 あきやま・しゅん 1930〜2013年。文芸評論家。著書『私小説という人生』など。
◆もう1冊 
 秋山駿著『「生」の日ばかり』(講談社)。最晩年の著者が自身や妻の病苦などに向き合いながら、存在の意味を考えるエッセー集。
    −−「書評:私の文学遍歴 秋山 駿 著」、『東京新聞』2014年01月26日(日)付。

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