覚え書:「書評:復興文化論 福嶋 亮大 著」、『東京新聞』2014年02月09日(日)付。
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復興文化論 福嶋 亮大 著
2014年2月9日
◆創造性に富む時代の到来
[評者]川村湊=文芸評論家
気宇壮大な論である。日本文化に創造性が満ちあふれる時期は、戦争や大災厄からの復興期であると著者は説く。白村江の戦い、壬申の乱の後には清新な白鳳文化が生まれた。源平合戦後には、鎌倉新仏教が澎湃(ほうはい)として起こり、『平家物語』という叙事詩が生まれた。日露戦争後の自然主義文学も、第二次大戦後のサブカルチャー(大衆文化・文学)の勃興もそうであると、日本の文化史をたどり、復興期の精神の躍如たることを主張するのである。
これは半ば説得的で、半ば疑わしい。柿本人麻呂の歌や空海の文業が、復興期の精神の所産であると断言するのは、少々ためらいを感じざるをえない。しかも、著者のいう復興や復興期という概念が必ずしも明確ではない。牽強付会(けんきょうふかい)と思える論点も散見される。
だが、本書の眼目はそんな文化史の転換などにあるのではない。現在、復興といえば、3・11の震災後のスローガンとしてのそれを思い起こすのは当然だろう。つまり、本書の目標は、私たち現代の日本人が、この復興期にいかなる文化的生産を実現できるかを問題としているのだ。本朝の人麻呂から空海、『平家物語』から中上健次、一転して古代中国に飛べば、孔子、屈原(くつげん)から『水滸伝』へと話頭を転じ、再び本朝に戻っては『太平記』、滝沢馬琴、上田秋成を論じ、夏目漱石、太宰治、川端康成、三島由紀夫とつなぐ。最後は手塚治虫、宮崎駿、村上春樹と、あれよあれよという間に、読者は現代の日本社会へと帰着する。
読者は本書を読み終えることによって、もう一度、震災後の復興の現場に戻ってくる。その時にガンバレ・ニッポンだの、無常観だのといった言葉がいかに虚(むな)しいか。日本文化はその程度のものか。いかにして、真に創造性に富んだ日本文化を創造することができるか。危機や災厄をチャンスに変え、復興や立ち直りの前髪を掴(つか)むこと。それはいつなの? 「今でしょ!」という声が本書の背後から聞こえてくる。
(青土社・2310円)
ふくしま・りょうた 1981年生まれ。文芸評論家。著書『神話が考える』。
◆もう1冊
花田清輝著『復興期の精神』(講談社文芸文庫)。ダンテ、ダ・ヴィンチ、ポーなどを論じながら、衰退に瀕(ひん)した文化の再生を企図。
−−「書評:復興文化論 福嶋 亮大 著」、『東京新聞』2014年02月09日(日)付。
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2014020902000163.html