覚え書:「発信箱:感涙スイッチ=小国綾子」、『毎日新聞』2014年02月18日(火)付。

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発信箱:感涙スイッチ=小国綾子
毎日新聞 2014年02月18日

 「全ろうの作曲家」とされる佐村河内守さん(50)の騒動に「感涙スイッチ」の話を思い出した。「何かの刺激で思い出が走馬灯のように巡ると感涙スイッチが入り、人は泣かずにいられない」という珍説。私自身、息子の保育園の卒園式で体感した。子供たちの歌った曲「さよならぼくたちのほいくえん」の「何度笑って何度泣いて何度風邪をひいて」という歌詞を耳にした途端、子育てをめぐる「思い出の走馬灯」が暴走し、涙があふれ出したのだ。見事術中にはまった気恥ずかしさの一方で、我が子の成長を素直に泣かせてくれる歌に感謝した。

 佐村河内さんの音楽を熱心に聴いたことはない。でも「分かりやすい感動」が好まれる時代に、曲のイメージが書かれた「指示書」に基づき、優秀な作曲家がてらいなく感涙スイッチを仕込み、丁寧に仕上げた音楽ならば、「現代のベートーベン」という偽りの物語の力を借りて多くの人の心を揺さぶったのは、そう不思議ではない気がする。

 文章にも感涙スイッチはある。記者稼業も長くなると「こう書けば読者は感動する」と見えてくる。それが嫌で、あえてその表現を避ける。「悲しみを越えて」や「限りない優しさ」などと安易に書くまい。「泣ける話」も嫌い。東日本大震災後、特にそんな思いが強まり、悩むことが増えた。一人一人の悲しみの形を手あかの付いた言葉に押し込めてはいけない気がして。

 感涙スイッチを押され、カタルシスを得るのは心地よいけれど、自分が文章を書く時は他人のそれを安易に押すまいと思う。拙くとも自分の言葉で書きたい。彼がうそにすがってまで得たかったのは何だったのだろう。(夕刊編集部)
    −−「発信箱:感涙スイッチ=小国綾子」、『毎日新聞』2014年02月18日(火)付。

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http://mainichi.jp/opinion/news/20140218k0000m070152000c.html



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