覚え書:「書評:葭の渚 石牟礼 道子 著」、『東京新聞』2014年02月23日(日)付。



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葭の渚 石牟礼 道子 著

2014年2月23日


◆美しい水俣が育てた生命
[評者]色川大吉=歴史家
 「石牟礼道子自伝」と副題がついているが、彼女が『苦海浄土(くがいじょうど)』(一九六九年)で世に出るまでの前半生を描いている。三十八年前に出した『椿(つばき)の海の記』と重なる部分もあるが、この『葭(よし)の渚(なぎさ)』のほうが詳しく、表現も多彩で豊穣(ほうじょう)である。自分を中心にした物語でありながら、第一部で、生まれた天草の風土のこと、祖父、祖母、両親のことが濃密に暖かく描写されて、主になっている。
 第二部で水俣川河口に移り住んだころの幼女時代が、自分を受けいれてくれた地域の人びとや不知火海の豊穣な渚のなかで生き生きと表現される。これは伝記というより文学叙述である。主客が逆転したりして、並の自伝の域を超えている。小学校に入ってから戦争が始まるが、この章では父の亀太郎が主役になっていて、父とのことが詳しく描写されている。著者自身は脇役なのだが、生き生きと描かれている。
 第三部で突如、石牟礼(当時は吉田姓)道子の世界が展開される。幻想と現実、「生きものたち」のつどう大廻(うまわ)りの塘(とも)のことなどが、読者の理解などそっちのけで詳しく書かれている。道子節の誕生である。この辺のことは『椿の海の記』と一部重なるが、もっとも魅力的なところである。このひとには呪術師の資質があるなと感じたところである。
 第四部は「水俣奇病」にであったころで、自分の文学活動が自覚的に語られている。谷川雁らの「サークル村」に参加したり、無文字の庶民の百年史を知ろうと『西南役伝説』を聞き歩いて叙述したり、高群逸枝を研究したりしたあと、腰をすえて水俣病を問う『苦海浄土』を書くのである。この自伝はここで終わっている。
 いわば大きな暗雲たる水俣病以前の水俣、何の発信力もないが美しく自足した小宇宙のなかで生まれ育ち、その生命の力と共振したひとりの民衆の記録だ。この本はその独創性において、歴史に残るものとわたしは思う。
 (藤原書店・2310円)
 いしむれ・みちこ 1927年生まれ。作家・詩人。著書『十六夜橋』『天湖』など。
◆もう1冊
 『道の手帖 石牟礼道子』(河出書房新社)。全集未収録のエッセーや座談・討議、渡辺京二池澤夏樹らのエッセーを収めたムック。
    −−「書評:葭の渚 石牟礼 道子 著」、『東京新聞』2014年02月23日(日)付。

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