覚え書:「論点 リーダーの『ことば』」、『毎日新聞』2014年04月04日(金)付。


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論点 リーダーの「ことば」
政治家やNHK会長らの失言が相次ぎ、謝罪・撤回する姿が目立っている。リーダーが発信を誤ると、その組織の信頼はもちろん国益も失いかねない。新年度を機に、リーダーに求められる「ことば」を考える。

波紋呼んだリーダーの発言
 NHKの籾井勝人会長は、1月の就任記者会見で従軍慰安婦について「どこの国にもあった」などと発言、国内外から強い批判を浴びた。
 安倍晋三首相は昨年4月、参院予算委員会で、1995年の村山富一首相が日本による過去の植民地支配や侵略を謝罪した「村山談話」について、「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない」などと述べた。今年3月の参院予算委では「歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいる」と修正した。
 また、衛藤晟一首相補佐官は、安倍首相の靖国参拝に対する米政府の「失望」声明に対し、「我々の方が失望だ」などと批判し、その後撤回した。

「建前」の政治的効用生かせ
井上寿一
学習院大学

 安倍晋三首相と側近の「歴史認識問題」が国内外に影響を及ぼしている。この問題は今に始まったことではない。かつては「妄言」、失言問題と呼ばれた。ここでは当時と今を比較して、政治リーダーに求められる発信力とは何かを考えてみたい。
 失言問題としての「歴史認識問題」の典型例を挙げる。1986年、藤尾正行文相(当時)が東京裁判靖国神社韓国併合に関連して、今日と同様の問題発言を行った。
 近隣諸国とりわけ韓国が強く非難した。発言撤回を拒否した藤尾氏は、中曽根康弘首相(同)から罷免された。「個人的な歴史観として発言は理解できる」と述べる一方で、中曽根氏が辞任を要求した結果だった。中曽根氏は本音では藤尾氏と歴史認識を共有しながらも、政治リーダーとして、建前を貫いた。日韓関係の緊張は沈静に向かった。
 建前の政治的効用は、戦後50年の村山談話で最も高まった。国会で全会一致の不戦決議を出すべきところ、本音に引きずられて、中途半端な首相の談話に終わった。それでも近隣諸国は村山談話を肯定的に評価した。93年の河野談話と95年の村山談話は、近隣諸国関係の修復に役だった。
 今、失われつつあるのは、このような「建前」の政治的効用である。安倍内閣村山談話河野談話を継承する限り建前は守られる。しかし首相(建前)と側近(本音)の役割分担が、本音の側に統一されれば、安倍首相のリーダーシップは弱くなるだろう。
 中曽根氏が建前を貫いたのは、外圧とともに内圧に配慮したからである。当時と比較すれば、今日では内圧が低下している。別言すれば、野党とリベラル勢力は、安倍内閣の本音に対抗する説得力のある言葉を国民に示さないでいる。
 今も敗戦国の国民心理が残存している。「日本はアメリカに負けたのであって、中国に負けたのではない。韓国の独立は、自力で獲得したのではなく、棚ぼたである」。敗戦国の屈折した国民心理を前に、それでもなぜ日本は謝罪と補償をしなくてはならないのか。問われているのは、歴史認識をめぐる安倍首相のリーダーシップと同時に、対抗するリベラル勢力の国内外に対する発信力である。
 安倍首相の政治的リーダーシップは重要な岐路に立っている。国内の本音を抑制しながら、建前の延長線上で近隣諸国関係を修復する。さらに日朝国交正常化交渉を軌道に乗せて、日露平和条約を視野に入れる。
 このような外交によって形成される東アジア国際秩序に言葉を与えることができれば、安倍首相の国際的な発信力は強くなるに違いない。
 対抗勢力の側は、国民心理の本音の方に目を向けるべきであろう。謝罪と補償を国に押し付けて済ますのではなく、日本国民の一人一人が自ら責任を引き受ける。求められているのは、国民に覚悟を促す言葉の発信である。
 以上のような歴史認識問題をめぐる政治過程が進めば、近隣諸国関係の修復の一方で、建前と本音に分裂している国内の溝は埋まるだろう。
 そうなればこれからの日本のリーダーは、歴史認識問題をめぐる国内対立を克服しつつ、東アジアにおける成熟した先進民主主義国として、国際社会に向けて和解と協調のメッセージを発信することができるようになる。(寄稿)

いのうえ・かずとし
1959年生まれ。一橋大法学研究科博士課程単位取得退学(法学博士)。選考は日本政治外交史。学習院大教授などを経て4月1日から現職。

攻めと守りの両面重視で
斉藤孝
明治大教授

 リーダーシップとは言葉の力である。
 リーダーにとって言葉力は不可欠の資質である。リーダーの言葉力の第一条件は、現実を前に推し進める推進力だ。その言葉によってメンバーの意思が統一され、やる気が高まり、現実が動いていく。メンバーの力が、リーダーの言葉を中核として結集する。
 リーダーの気力は言葉となって放たれ、メンバーを奮い立たせる。大事な局面で緊張したり、不安になったりする者に勇気を与え、現実への前向きな構えをつくるのが、リーダーの言葉力である。典型は、1994年に長嶋茂雄監督(当時)が優勝決定を懸けた大一番直前のミーティングで放った、「俺たちは勝つ! いいか、もう一回言うぞ。俺たちは勝つ! 勝つ!」だ。漸進の気力とが力強い声となり、選手の身と心に火をつける。
 声は言葉に生命力を与える。ソクラテス、イエス釈尊孔子は、著作ではなく、その場にいる目の前の人間に語った言葉によって後世に大きな影響を与えた。言葉のライブ感と身体性は、意外にも時を超えて伝わる。カエサルは乗った小舟が嵐に見舞われた時、船頭にこう言ったという。「元気を出せ、恐れることはない。お前が今運んでいるのはカエサルなのだ。カエサルの運命の女神もともに乗せているのだ」。「運を見方につけている」という確信が人を動かし現実を変える。
 リーダーの言葉力の第二条件は、ビジョン(具体的な未来像)を示し、そこへの道筋をつけることだ。福沢諭吉の「学問のすすめ」はこの典型だ。リンカーンの「人民の人民による人民のための政治」、キング牧師の「私には夢がある」、ガンジーの「非暴力(アヒンサー)」、マンデラの「教育は世界を変える最強の武器」との言葉は、人々にビジョンを示し、意識と行動のエネルギーに方向性を与えた。
 スローガンと戦略。この二つの要素が結びついた言葉は強い。グラミン銀行創設者のユヌス氏の「貧困とは、あらゆる人権の不在」「貧困を根絶し、博物館送りへ」とのメッセージは、貧困層への無担保少額融資システムという具体的戦略とセットで強い影響力を持つ。
 激しい言葉ばかりがリーダーの言葉力ではない。静かに、しかし確固として原理原則を示す言葉には千金の価値がある。痛みを伴って得た膨大な経験知をシンプルな言葉に凝縮させる。簡潔な言葉を「鉄則」として受け取り、技として身に着ける受け手の「被感化力」があって初めて、原理原則としての言葉は生きる。
 松下幸之助の言葉は本気で実践してこそ価値がわかる。幸之助の「ダム式経営」の講演での言葉に、稲盛和夫は雷に打たれたように衝撃を受けたという。この被感化力がリーダーの言葉を実践する鍵となる。武家や商家の家訓はまさに「金言の実践」のたすきリレーである。
 リーダーの言葉力として最後に挙げたいのは、失言しないこと、いわば言葉のディフェンス力だ。失言一つで信用が失われる。インターネットが発達した現代社会では、失言は致命傷となる。オフレコは通用しない。内部告発もある。リーダーは自らの率いる集団と世の中にマイナス影響を与えないよう、言葉の選択に配慮する必要がある。リーダーに攻めと守りの両面の言葉が高度に求められる時代、それが現代である。(寄稿)

さいとう・たかし
1960年生まれ。東京大法学部卒。教育学、コミュニケーション論専攻。「声に出して読みたい日本語」(毎日出版文化賞特別賞)、「ほめる力」など。

公私区別し影響力自覚を
小俣一平
東京都市大教授


 4月は入学式、入社式の季節である。著名大学の学長や企業のリーダーたちの、激励の言葉が新聞に紹介される。今年のNHKは、どうだったのだろうか。筆者が34年間勤めていた古巣である。その新会長・籾井勝人氏の就任会見発言とその余波が、新聞記事をにぎわせていた。
 リーダーの言葉は重い。早速「会見録」の原文を取り寄せた。読んで驚いたことは「公私」の分別の無さである。
 「会長の職はさておき」と断りながらも、十分持論を展開している。こうした手合いを「PP不感症」と名づけている。パブリック(公)とプライベート(私)の境目がないことを指す私の造語である。例えば電車のなかで、ハンバーガーをほおばったり、化粧をしたり、携帯電話をかけたりするような、自宅と公共の場を混同した人たちだ。
 今回の発言も一介のサラリーマンの「床屋談義」として聞く分には無視しておしまいだが、「個人的な」と断ったにせよ、頭の中身は一つであり、NHK会長の発言となると別だ。そこには、公共放送と公営放送を混同しているのではと思わせる認識や、自身の発言の重みとその影響力すら考慮できない、思慮の浅い人物が気ままにしゃべりまくる姿があった。私の在職中で知る限り田中角栄元首相の出所祝いに駆けつけ辞任した小野吉郎氏以外、このような浅慮な会長を見たことがない。
 NHKは、BBCと並び称される世界の放送局である。国際放送の重視を掲げた会長会見で、韓国やドイツ、フランス、オランダと具体的な国名やヨーロッパを引き合いに出しながら従軍慰安婦問題を語るのは、NHKの置かれた立場を認識していないことこの上ない。NHKは「アジア太平洋放送連合」を50年前に設立し、会長や副会長を輩出してアジア地域の放送をリードしてきた歴史もある。
 ところが今回の新会長の発言は、中国、韓国のみならず、欧米の主要メディアも大々的に批判した。こんな発言をしていては、日本の国際的威信は傷つくばかりで、国際社会は日本を信用しなくなる。
 もうひとつ気になることは、いまは就任発言問題で、殊勝に「処女のごとく」振る舞っていても、「終わりは脱兎のごとく」いやいや、トラ・獅子のように強圧を1万職員に押し付けてくるのではないかとの懸念がある。それも今度は、言質を取られぬように「無言」の形で推し進めてくるのでは。NHKは、そうした「無言の圧力」に弱い体質の組織である。かつて記者時代、政治家の取材を巡ってデスクと対立したことが何度かある。現場の取るに足らないやりとりに会長自身は、関わりはしないし。口を挟むことはないのだろうが、現場のデスクが政治家からのクレームをそんたくする。それは予算を人質に取られているNHKの悲しい運命とも言える。
 NHKは、公共放送と言いながら政権が大きく関与する構造的な問題を抱えているとはいえ、「(特定秘密保護法は)一応通っちゃったんですよね、もう言ってもしょうがないのでは」という会長の発言に、「そんたく職員」が過剰に反応しないとも限らない。
 放送は、ジャーナリズムとして日々のニュースを伝えるとともに、文化を発信するメディアである。会長には、そろそろ文化やメディアに精通した人物に登場願っても良い時期ではないだろうか。(寄稿)

おまた。いっぺい
1952年生まれ、大分県杵築市出身。早稲田大大学院博士後期課程修了(博士・公共経営)。NHK社会部記者などを経て2010年4月から現職。
    −−「論点 リーダーの『ことば』」、『毎日新聞』2014年04月04日(金)付。

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