覚え書:「書評:線路はつながった 三陸鉄道 復興の始発駅 冨手 淳 著」、『東京新聞』2014年04月13日(日)付。

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線路はつながった 三陸鉄道 復興の始発駅 冨手 淳 著

2014年4月13日

◆鉄道マン奮闘3年の記録
[評者]稲泉連=ノンフィクション作家
 それは三陸沿岸を大津波が襲った二日後のことだったという。“万里の長城”とも呼ばれる防潮堤を波が乗り越え、瓦礫(がれき)に覆われた田老の町。少し高台にあった鉄路の上を、多くの被災者が行き交っていた。目を覆うような惨状を確認したとき、三陸鉄道の望月正彦社長はまずこう言ったそうだ。
 「とにかく列車を走らせよう。一刻も早く走らせよう」。本書はその言葉から始まった三鉄の三年間を同社の旅客サービス部長が綴(つづ)った記録である。
 著者の冨手淳氏は田老で社長の言葉を聞いたとき、誰かがその場にいたら「何を夢のような話をしているのだろう」と感じても不思議ではなかったはずだと振り返っている。同社が運行する北リアス線南リアス線はともに橋梁(きょうりょう)や線路、駅舎や高架橋の流失といった甚大な被害を受けており、復旧が絶望的だと感じた人も多かった。
 だが、同社は実際に震災の五日後に久慈−陸中野田間、九日後には宮古−田老間の運行を再開。そして今月六日には、当初の宣言通り、三年間での全線完全復旧を達成した。その中のエピソードは、三鉄が「北鉄」として登場するNHK連続テレビ小説あまちゃん」にも取り入れられている。
 私は本書を読みながら、明治・昭和の二度の大津波を経験した田老村の関口松太郎村長が、被災者を「復興者」と位置づけ、被災後の町づくりを行ったという話を思い出した。本書に登場する三鉄の人々が持っていたものが、まさしくその「復興者」たらんとする精神であるように感じられたからだ。
 様々な課題と格闘し、まずは一部区間でも鉄道を走らせようと奮闘した鉄道マンの姿そのものが、多くの支援を呼び寄せ、支援に応えようとさらなる努力を続ける彼らの糧となっていく。
 著者は、その日々の末に実現した全線復旧を「第二の開業」と呼ぶ。三年間の思いが凝縮された、胸打たれる言葉だと思った。
(新潮社 ・ 1296円)
 とみて・あつし 1961年生まれ。第三セクター三陸鉄道の旅客サービス部長。
◆もう1冊 
 森栄吉著『いちご畑をもう一度』(潮出版社)。大津波で壊滅した宮城県亘理町の「いちご団地」の組合長が生産を再開するまでの物語。
    −−「書評:線路はつながった 三陸鉄道 復興の始発駅 冨手 淳 著」、『東京新聞』2014年04月13日(日)付。

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