書評:豊田直巳『フォト・ルポルタージュ 福島を生きる人びと』岩波ブックレット、2014年。+α

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豊田直巳『フォト・ルポルタージュ 福島を生きる人びと』岩波ブックレット、読了。震災から3年。福島は「忘れさせられようとしている」のではないだろうか。多くの人もその意図に抗うことなく忘却に向かい、混迷の度合いは強まる。本書は、福島を生きる人々の呻吟を伝えるフォト・ルポルタージュ。深刻さは増すばかりだ。

福島第一原発で収束作業に携わるTさん。「個人的には、最初の頃はそれこそノルマンディー上陸作戦。硫黄島とか沖縄。あんな感じだった」、「今はベトナム戦争」。「前線に行っても、敵がいるのかどうかもわからないっていう。たまに地雷があったり」。

地雷とは作業現場内の線量が高いところ。「1日1万円で働いているところもあるって言っています。そんなベトナム戦争のような中で、トラブルが起きています」。ベテラン作業員の浄染作業への流出と人手不足で命がけの作業ははかどらない。

東電は変わったかと最後にTさんに聞いた。「『改めて大変だなあと、苦労してんだなあと思うけれども』と前置きをしながら、『けれども体質としては以前と同じ』と断じた。そして、東京電力について、こう言い切った。『悪の帝国』」。

私たちの現在および未来の暮らしの安定は、毎日、放射線を浴びながら働く彼らの存在抜きには考えられない。「こうした現実を直視しなければならない」。「忘却への抗いによってしか、次の事故を防ぐことも、被災者の救済もない」。




 

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ひと:豊田直巳さん=800日間の福島取材を映画化した
毎日新聞 2014年05月10日 東京朝刊


 ◇豊田直巳(とよだ・なおみ)さん(57)

 撮影した映像は250時間に及ぶ。福島第1原発事故の翌日、フォトジャーナリスト仲間の野田雅也さん(39)と福島に入った。計画的避難区域となった飯舘村に2年以上通い続け、村人たちに密着した。村の酪農家を主人公にしたドキュメンタリー映画「遺言−原発さえなければ」は3時間45分の大作だ。

 「宝の映像」。編集担当のプロデューサーがそう評するほど、カメラは住民の喜怒哀楽や緊迫の瞬間を捉えている。自殺した酪農家仲間の元に主人公が駆けつけるシーンは、取材中にたまたま訃報が入り、撮影した。

 東京で塾講師をしていた1982年、イスラエルレバノン侵攻をテレビで見て「日本が平和ならいいのか」と考え、フリーで報道の世界に入った。取材には時間をかける。パレスチナは20年、イラク劣化ウラン弾問題は10年追い続けた。「日々のニュースに追われるマスメディアとは違う、奥行きのある取材」が身上だ。相手とじっくり信頼関係を作り、自然な表情が出るようになったらカメラを回す。

 戦場取材を重ねたジャーナリストも、福島の取材には悩んだ。放射能が舞う中で生きていかなければならない住民のために何もできない自分。「どうしたらいいか僕もわかんなくて……」

 除染で出た放射性廃棄物の仮置き場を線量計を持った主人公が歩くシーンで映画は終わる。「原発事故から3年たっても何も解決していない。まだまだ取材を続けますよ」<文と写真・福永方人>

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 ■人物略歴

 静岡県生まれ。日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)会員。「遺言」の自主上映を募集している。
    −−「ひと:豊田直巳さん=800日間の福島取材を映画化した」、『毎日新聞』2014年05月10日(土)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20140510ddm008070150000c.html




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