覚え書:「運動部活動の戦後と現在―なぜスポーツは学校教育に結び付けられるのか [著]中澤篤史 [評者]荻上チキ(「シノドス」編集長・評論家)」、『朝日新聞』2014年05月11日(日)付。

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運動部活動の戦後と現在―なぜスポーツは学校教育に結び付けられるのか [著]中澤篤史
[評者]荻上チキ(「シノドス」編集長・評論家)  [掲載]2014年05月11日   [ジャンル]教育 人文 

■部活嫌い生む犯人見たり!

 「7割以上の中学生と5割以上の高校生が運動部活動に加入し、ほぼすべての学校が運動部活動を設置しており、半分以上の教師が運動部活動の顧問に就いている」。本書の序章に登場するフレーズだ。運動部活動がこれほどまでに根付いているとは。で、その実態は?
 ページをめくるたびに見えてくるのは、日本の運動部の特殊性だ。国際比較によれば、一部有志の競技力向上を目指す米、一般生徒のレクリエーションを志向する英と異なり、日本では一般生徒の人間形成・教育指導が重視されてきた。種目数や試合数などは多いが、技術や経験がない教師も顧問役に就かされがちで、勤務時間増に不満の声も。生徒は生徒で自由時間削減に愚痴をこぼす。それでもあくまで「全生徒の自主参加」が建前として掲げられる。
 一部エリートのものとして明治時代に始まった運動部活動。戦後は、運動部への加入者が右肩上がりに増えていった。管理主義が強まった1980年代には「非行防止」の手段として強調されたが、今は学校スリム化の流れを受け、部活動の地域化をめぐる議論が再燃している。ただし、あくまで課外活動という位置づけであるため、政策的影響は少ない。そもそも部活動は制度的な基盤が脆弱(ぜいじゃく)で、現場の慣習によって成り立ってきたものだという。あいまいかつ非合理な理由で継続し、空気を読みながらの参加を促される部活動。うう、いかにもという感じだ。
 堅い論文調ではあるが、論旨はシンプル。平易な新書になるとうれしいが、並ぶデータを眺めるだけでも認識が変わる。部活嫌いだった者はきっと「犯人見たり!」という思いで本書を読み終えるだろう。東京オリンピックを控える一方で、いまだ残る体罰やハラスメントが問題視される今こそ、スポーツの在り方を問い直すための一助として活用されてほしい。
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 青弓社・4968円/なかざわ・あつし 79年生まれ。一橋大大学院専任講師。身体教育学・社会福祉学専攻。
    −−「運動部活動の戦後と現在―なぜスポーツは学校教育に結び付けられるのか [著]中澤篤史 [評者]荻上チキ(「シノドス」編集長・評論家)」、『朝日新聞』2014年05月11日(日)付。

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